一区切り

先週、母が他界した。

レビー小体型認知症による認知症があり、施設でみてもらっていたこと、諸事情と距離の問題で、なかなか顔を見に行けるという状態ではなかったけれど、健康に問題があるわけではなかったと聞いている。

食べ物を喉に詰まらせて、意識不明からの他界で、月曜日に症状が出て、水曜日に亡くなる。意識は戻らなかった。

その前の週は、桜があちこちで満開で、足元を見れば、桜以外も沢山の花が咲く頃になっていた。花を楽しんだろうか。若葉を慈しんだろうか。春に食べられる植物は蕗や土筆、野蒜、柿の若葉、蓬や藤の花など、つつじの花の蜜、沈丁花の香り、梅の、姿は見えない香りのこと、椿の美しさや苔の柔らかい緑のこと、いろいろ教わっていたことを想う。今年の春も、好きなものに思いを寄せる時間があったろうか。

介護で辛い思いをしたけれど、すべて水に流してしまっていることにも気が付く。

飛び込みたくなるような時間を過ごしたことも、好きな人が知らない人になっていくことを見守らなければいけなかったことも、全部水に流してしまって、気になることがなくなってしまった。もう、一人でどこにでも行ける。

母をみていた人たちに感謝。ありがとうございました。

 

 

春とサラムーンの個展のこと

雪が溶けて、急に暖かくなってから、あっという間に花が咲き出しました。
梅が残っているのに空には桃や桜、蠟梅、ボケ、コブシに木蓮、足元には人々が植えた水仙からオオイヌノフグリ、スミレ、土筆に、数えきれない花を見ました。良い匂いに誘われれば花があり、早めの藤に顔を埋めて、忙しい春でした。
これが雪国又は北陸の春なんだろうか。

恋い焦がれた春でしたが、その前の冬は寒いのはもうたくさんで、寒いというだけで動けなくなることも多々あり、何度も南国に帰ろうと思ったのです。
この頃の携帯にはひたすら花の写真が並んでいます。くっきりとした青い空に黄色や薄桃、輪郭のはっきりした白。落ちた牡丹の濃い臙脂。若い柳の翠。色々な色が突如現れたような賑やかさでした。ツツジの少し穏やかな色合い、花に小指を突っ込んで(ごめんなさい)、奥にある蜜を舐めてみる。白いたんぽぽ、黄色めのたんぽぽ、春なんだ春なんだ。春なんだ。

あるところで試験を受けてきて、そこで見た春の形は私が慣れ親しんでいる春でした。関東、又は東京地方の春のかたち。芝桜とカタバミと、ヒメジオンと木香薔薇と。地域が違うと春の色も違う。なによりも暖かく、春というより初夏に近い空気で、遠くに土鳩と少し下手な感じのウグイスが聞こえる。やっと日本に来たなあと思いました。実際には随分経っているのですが。

試験の後、銀座でサラムーンの個展に行ってきました。
大学で出会ったサラムーンはしんとした音のない、温度感のないでも柔らかな人の肌を感じさせる写真が好きでした。
今回は、デジタル化されて、はっきりした写真に慣れている目には新鮮で、写真というより版画のような手触りでした。こういうことがあった、以前あったこと、夢の一部分を切りとったような写真で焦点が合わないというより見えなくてよいものを見せない、空気だったり、意識であったりするような何かが消されていて、止められた時間、枠の中に納められた存在を愛でるような印象でした。

私が見たかった春は現実のものではなかったかもしれない。現実の春はもっと流動的で激しくて突如現れて変化していきました。それは今年の気象のせいかもしれない。でもよく知っている、見慣れた春に出会えたことが嬉しかった。

耳で聴かない音楽会に行ってきた



落合陽一さんと日本フィルハーモニー楽団のコラボレーションに行ってきました。
健常者なので、これを聞きにいくにはクラウドファンディングという方法になります。
なかなか目標金額にならなくて少し心配しましたが、この音楽会に立ち会えたことに感謝です。

聴こえるというのは、空気の振動が鼓膜に伝わるものです。
私の親族には、色々な事情で鼓膜が無くなり、補聴器や人口鼓膜で凌いでいる人がおりました。かなり大きな声で会話をしないと聞こえないのです。聞こえないということがどんな感覚なのか、自ら体験するには、水の中が近いのではないかと思います。

振動を感じることが音を感じることならば、と落合陽一さんは、soundjacketを製作されています。燕尾服の中に沢山のスピーカーが入っていて、音楽を肘や背中などで聞くことができます。このsoundjakectを試すことが出来ました。
身体のあちこちで音が聞こえる、皮膚の上で聴こえる感じでした。スピーカーの振動が皮膚に伝わる。短い間でしたが、細かな振動が伝わるには肌でもっと感じてみたい、私も固定された(椅子に座って)でなく聞いてみたいと思いました。
音楽会の中で、ラデツキー行進曲の一節をこのsoundjacketを羽織って指揮をする、という企画がありました。指揮を行った体験者はゆっくりと指揮し、そしてリズムが少しバラついていました。子供達だったからかもしれない、この曲を知らなかったからかも知れない。一人男性が指揮を行いましたが、終わった後に、このシステムを使って、耳の聞こえない人の指揮者が誕生するかも知れない、と言った時に、聞こえない人がリズムを刻む難しさ、そしてリズムを音の振動から読み取っていたことに改めて気づきました。自分の作ったリズムを振動として体感しつつ指揮を振る。指揮があっての音楽なのか、音によって振動を感じつつ次の未知の音の域に繋げていくのか、健常者には想像出来ない複雑な環境であること。

この他にhugballがあって、このボールを抱きしめると音の振動が伝わり、音に反応する光があり、音楽を視覚でも楽しめるようになっていました。
用意された演目の中に、ジョンケージの4分33秒がありました。
演奏家が弓を構え、譜面をめくり、時に軋む椅子の音、呼吸の間合い、といったものがあり、hugballが光ってリズムを刻む中、健常者の私は、演奏家の気配、空気を読んでいました。立場が逆転したような不安感の後、落合陽一さんの意図とは、と考える時間でした。
体験の交換のような、又は普段気に留めない空間を読むということを実感するものでした。

ガムランの中で使われる太鼓の音がわかるように、太鼓の音と連動して光るものがあると良いのになあと思っていたことを思い出しました。視覚でわかる音。視覚で理解したら踊りの振りがもっとわかりやすくなるのではないか(というくらい、はじめの頃は理解できなかった)。音が視覚化される、思っていたことが目の前で体験できた幸せ時間でした。

次の落合陽一さんと日本フィルハーモニー管弦楽団のコラボレーションはラベルのボレロを取り上げるそうです。これは体験しに行きたいです。平日なので色々難しいけど、なんとかして行き

作ろうと思うのですが


久しぶりにモーターに触っています。
小学生以来かもしれません。色々わかってないのですが、とりあえず組み立てができて、電池で動きました。
思ったより速く動くので、低速にしようと思います。(今普通の設定になっている)

子供向けにこういったものの教室がありますが、大人向きはなさそうです。
子供向けの時間には働いているので参加が難しかったり。

仕事しながら踊ったり、何か新しいことをするのが大変になってきました。
歳を重ねると体力の低下をひしひしと感じますが。

ゆっくり続けます。

Omicro君がやって来た

2017年のMaker Faire Singaporeで一目ぼれしたOmicro君が私のところにやって来ました。

ころころ転がる姿が可愛くて、でもいかにもロボットで、細胞を一粒取り出したような、ミクロサイズの生き物のようなOmicro君でした。操作がスマートフォンから出来る、アプリケーションも触ってみるだけで使い方が思いつく、または思い当たる。
小さな子供がしゃがみこんで見つめる中、足元までころころんころんと転がって立ち止まって、くるんと回転する姿は気ままに踊ってるまんまるななにかでした。
この子となにか一緒に歩いたり走ったり何かしてみたい。「欲しい!」ほかの人の作品なのに、勝手になにかしてみたいなんて失礼だなあと思ったのですが、作者の方に「欲しいです。一つください!買います」と声をかけました。omicro 良いですよ!と返事が来て本当に作っていただきました。

指で真ん中の丸を触ると回ってくれたり進んでくれたりしてくれます。LEDランプが点灯出来て、これなにかサインとか出来ないかなとか、考えてます。思い通りに動かないではなく、Omicro君にも意思があるようなゆらんとした動き。ちょっと慌てて走り出したり、おっとっとと止まったり。
床の上もスムーズに進みますが布の上でも同じように動きます。Omicro君がそおっとどこからか脱走!というシチュエーションが浮かんでなに考えてるんだろ、私。
一緒に歩く、立ち止まる。一緒に回ってみる。お互い違うことしてみる。追いかけたり追い越されたり(意外と早く走るのです)、覗きこんだり覗かれたり。なんだろう、Omicro君とはコミュニケーション出来そうなのです。
どこに連れて行こうかな、誰とコミュニケーションとってもらおうかな(一緒に動いてもらう)、誰かに操作してもらうと、Omicro君にその人が憑依するみたいなので、誰かに操作してもらって一緒に踊ろうかなとか。
今晩は色々操作してみてほんとに面白かった。魔法使いからいただいた、魔法の石みたいです。どんな風にコミュニケーションするって、それはこれから私のお愉しみです。

古くて新しい機械


以前から布が大好きだったのですが、今、布にかかわる仕事についています。
影響はおそらく子供の頃に見たNHK特集のシルクロードからかと思いますが、中国の民族衣装が好きになり、形や刺繍を調べたり、民族音楽を聴くようになってからインドの更紗で服を作ったり、日本の着物の紬や、インドネシアに行けばバティックというろうけつ染めに心をときめかせ、織物も染めたものも大好きです。

布といっても、布になるまでには様々な工程があり、糸は綿や獣毛などの天然繊維や化学繊維から、織る作業には織機の存在があり、織機は古くからある機械の一つですが、動力が人間の手機から、最新の機械は最先端の技術が使われるものまで様々です。

私の仕事は、織機の中に組み込まれる筬(Reed)と綜絖(Heald)という部分にかかわっています。

色々説明してもらって、現在の活躍する自動織機も見せてもらっていたのですが、どうしても腑に落ちない、あまりにわからないことが多かったので、自分で織機を持ってみようと思ったのです。

スウェーデンの子供のおもちゃで、3歳以上からというものですが、自分で経糸を張り、シャトル緯糸を巻いて、2枚の綜絖枠を上げ下げしながら織ることができます。
織機の仕組みがよくわかります。

鶴の恩返しでトントンするのが筬、トントンすると経糸の間を通った緯糸がきゅっと締まります。経糸の張り加減の調整が悪いとどこに負担がかかるのか、糸と糸の間隔が広いと太い糸(付録の糸は毛糸)じゃないとスカスカになってしまう、当たり前のことが自分で作業(織ってみる)してみると納得することがいくつもありました。想像力があまりないので、やってみないとわからないのです。買ってみてよかった、自分で織ってみてみて良かったと思います。

緯糸を渡すシャトル(杼といいます)が早く動くといいのに(手で通している)。綜絖枠の上げ下げが自動で動いたらいいのに(おもちゃなので一回一回手で動かしています)。経糸がもっと滑りがいいといいな、経糸張り大変だぞ、シャトル緯糸、楽に巻けないかな、(このおもちゃのシャトルを想定して考えてみたら、昔からある糸巻き器の形に辿りついた)、綜絖枠もっと増やしたら綾織できるかな、などと考えると、機械化→自動織機にたどり着きました。豊田自動織機の初期の頃のものを上野の博物館で見てきましたが、今の自動織機とそんなに変わっていなかった。

鶴の恩返しで、男の家に織機があったというのは、普通の家に機械があったのかということで改めて驚きました。布って自家製だったこともあったんだ。民族博物館のテーマパーク的なところを見て回るのも好きなのですが、展示されている家のモデルの中に時々手機も置いてあって、織りかけの布ばかり見ていたので、なぜそこに織機があるのか思いつきませんでした。布は自分の家で織るもの。今までは工芸品としてあるけど、元々日常品だったことを忘れていました。
全部の家にあったわけではないと思うけど、織機がある家もそんなに珍しくなかったから、鶴の恩返しのような話も成立するのだろうなと。

あくまでおもちゃなので、この織機で織りあがったものは切り取ってコースター、頑張ってマフラーになるかどうかです。(このおもちゃのすごいところは比較的長い織物を織ることができるのです)もう少し細い糸で織りたいなあと思うと、綜絖と筬をもっと細かなものにしないといけないのですが、取り外しができないのです。(おもちゃなので安全第一)大人用の(?)織機も探してみたのですが、織物作家になりたいということでもなく、仕事に関することが知りたい目的なので、織機を作ってしまおうかなと思います。幸い手元に小さな織機は既にある。木材買ってきて、なんとなく自分でも作ることが出来そうな気がします。綜絖と筬だけ、仕事で扱うもので作ってみようかなと思います。こんな小さな織機でもちゃんと布を織ることができます!てなんだか楽しい。
早速職場の偉い人に織機の話をしてみたら、やってみたら(笑)!

相変わらずどこかおかしい今日この頃です。

グリーンランド 中谷芙二子+宇吉郎展に行ってきた

雲の中にたたずむ

前から気になっていたので体験しに行ってきました。
室内で霧を作ってみるというものです。

雪を研究していた中谷宇吉郎さんという方と、その娘さんの芙二子さん。この方は霧のアーティストをして活躍されている方です。
雪と霧、自然のもたらす水がテーマで、宇吉郎さんは晩年雪氷について研究をされていたそうです。グリーランドでの研究姿の展示とともに、室内で霧を発生させるという娘さんの芙二子さんの取り組みでした。

父の足跡をたどるような旅の一環で行われたような気もする展示でした。

山の中を歩いていると、向こうから白い壁が急に立ちはだかってその中に取り込まれ、壁が通過されるのを待つ。白い世界がすうっと晴れていくことを、尾瀬で体験したことがあります。なんとなくそのことを思い出しながら会場に向かいました。

銀座メゾンエルメスフォーラムはお店のエルメスを通過していきます。以前はよく前を通過していっていたのにこのお店に入ったことがなかったのです。(縁がないというか)
ブロックガラスの壁を氷に見立てた会場は、明るくて天井が高くて、空気がしっとりとした場所でした。父の研究状況を録画した映像が流れ、当時の研究風景を忍ばせるものが展示、そして手書きの様々な雪や氷のメモ。目で見て手を動かすという昔から人が行ってきたことが新鮮でした。氷を曲げる、(曲がる!)詳細な手書きの美しさにも驚きました。

会場に入った時、会場全体が薄い霧に包まれていて、ちょうど霧の実演が終わったところだと教えていただきました。会場を見て回っていれば次の霧の実演を体験できる。霧の発生装置は、夏の涼しさを作り出す霧状の水を作り出す装置に似ていました。建物の中で霧を起こすということはどれだけ湿度が必要なんだろう?

装置の前で待っていると、案内の方が、「最初は下から霧が出て、次は上からでて、そのあと少し止まります。そのあと上から霧が出て、下から霧が出て…」と説明してくださいました。ああ楽しみ。どんな霧なんだろう、霧ってどんなんだっけ。ドキドキしながら待っていると、下のパイプから霧がシュウっと噴き出してきました。みるみるうちに床が白く染まってゆき、上から噴き出していくと上から霧が降ってきました。霧は水。粉糠雨に降られたように、着ていたコートに細かな水滴が生まれる、水流のない水の中に入ったように水に包まれる。視界は白くなり、雲の中を歩くような感じでした。飛行機の上から見る雲は、ふわふわなのでその上を歩けそうな気がするけど、今はその中に立っているような。霧のはかなさを思い知る(雲のはかなさ)体験でした。
歓声を上げた後、霧の中を歩く人々、そして装置が止まると霧は霧消してしまう。元の空間に戻ってしまう。短い時間に起こる出来事は、会場に滞在する鑑賞者の人数によっても霧の残り具合などが変わると思うし、それぞれ体験があるかと思うので、毎回違ってくるでしょう。人工的に機械を使って生み出す霧に、私ははかなさを感じます。


中谷宇吉郎さんの雪の科学館があるそうなので、そのうち行ってみようと思います。
kagashi-ss.co.jp/yuki-mus/yuki_home/
「雪は天から送られた手紙」だそうです。雪や雨から地球の過去、現在を知ることができる、そんな話をしてくれた人を思い出しました。