魔法使いの魔法についての伝え方

あんなことしたいなら、あれを使えば?
あれを使えば解決する。
(あれ自体を知らなくて、尻込みしてしまう)

というのと

あれは、これなんだけど。
と目の前で魔法の一部を実演してくれる。
(あれがなんだか分かった→何のためのものかくらいだけど)

というと、後者はその魔法を試してみようと思う背中を押してくれるような気がします。
魔法使いの弟子になれないかもしれないけど、試してみないとわからないので、試してみようかな。
魔法はほかの言葉に置き換え可能かと思います)

Neighbor を見てきた 続き 初めて会った人に自分をあずけてみる

会場でペアを決めるのですが、私は一人で来ていたためどなたかに相手をお願いすることになりました。

公演を見ていて、1公演3組かな、体験出来るのですが、他の体験者の方々はお互いパートナーの方が知っている人でした。家族や友人だったと思います。私は体験するために早くから待っていた若い男性の方と一緒になりました。この方で良かったなあと思います。何か安心出来そうな、自分をあずけることができそうな気がしたし、あずけていました。

視界の制限に対してあまり違和感がないのは、伝統舞踊で仮面の踊りを踊っていたからかもしれません、仮面をつけて踊ることはほぼ前が見えないようなものもあり、動きをコントロールしつつ、仮面に踊り手がその仮面になる作業が発生します。

私は視界の制限されたことでパートナーの手の温かさ、重さが通常より実感できたことが大きかったです。耳からくる情報、人の気配、温度、ダンサーが近づく足音、通り過ぎていく風、目から来る情報に安心して没頭出来るくらい、目以外の情報がわたしを包みました。目から来る情報は疎外感というか、さみしい感触をもたらすものでしたが、それを安心できるところから虚構の物語を体験出来るような。現実に見える世界と物語から送られる作られた映像の切り替えも境に気がつく、それでも全部ひっくるめて一つの物語に集中しました。
自分の足がみえないこと、自我が宙に浮いているような感じでしょうか。他の体験者の方から後で怖かったという感想がありましたが、怖いという感覚が全く私にはなくて。ずっと手を握っているわけではないけど、気配、存在がそこにある、その方もまた同じ体験をしている、共有している。一緒に旅をするような安心する時間でした。
踊り手にも身体を渡すことがあり、パートナーと手を繋がれるよう動かされたり、手を握ったり。長いようで短い時間、パートナーの存在で異空間から戻ってきた時に、パートナーの方の手を改めて再実感して握り返しました。ハグしなかったのはこの体験が日本だからでした。インドネシアならハグしてたかな。

わたしが体験したことがパートナーも同じように体験していたかどうか。それはまた別のお話になると思います。わたしはこの方で良かった!とどれだけ安心できたか、異空間の旅を楽しめたか、時間があったら伝えたいくらい、安心する時間だったのです。それはわたしが感じただけで、パートナーの方はどうだったんだろう。知らない同士だったのでわかりません。
観客としてこの作品をみると、体験者が装置になり、演者になり、無防備なくらい感じているなにかをさらけ出すような時間もありました。ただ立っているだけなのに、体験者それぞれがそれぞれの物語の中で生きている。踊り手が正確に物語を繰り返しているので、体験者の反応がそれぞれ違っていることが見えてくる。色々な体験者や観客の方と話を聞きたかったと思います。体験の後、作者である藤井さんとのディスカッションもあったのですが、もうちょっと聞きたかった。

もう一度これを体験してみたいか。違うパートナーの方だったら体験したい。振り付けが違ったらどうだろう、観客として先に鑑賞して学習して体験しているので、全く知らないで体験したらどうだったんだろう。考えることがたくさんある体験でした。

Neighbor を見てきた

少し前のことですが、新宿のICCで会館20周年イヴェント、「藤井直敬+GRINDER-MAN+evala 《Neighbor》」を見てきました。11月4日、土曜日の回です。

Substitutional Reality(SR)技術:理化学研究所で開発された主観的な現実を操作する技術、過去に撮影された映像と目の前で起きていることの映像を切り替えたりか重ね合わせたりして、その画像をヘッド・マウント・ディスプレイに表示することで、目の前に見えている世界が現実かそうでないのかを区別することを難しくする。と紹介されています。(Web情報より)

これを見るだけではなく、体験することもできるとあってこれは絶対試してみたいと思いました。
目の前に起きていること、目に見せられている現実とは限らない世界、仮想の世界。それを観客として、体験者として一度に体験できる。そして体験者は舞台装置のように、または一人の演者のように舞台に(意図しないかたちで)存在するのではないか。

今回は舞踊が重要なコミュニケーションとなっています。そこにSRの装置を付けた体験者が行動の制限を受けつつ(歩いたりできない)どんな風に舞踊とコミットしていくんだろう。そして観客もあり、体験者もあり、ということは体験者は先に舞台で何が起きているか見ることができるはず。他の人(自分以外の体験者)が見る映像(モニターとか)+現実に舞台の進行を見ていくのかなと思ったので、自分以外の体験をなぞるような感覚になるんだろうか。見る前から色々想像しておりました。

古い衣装と久しぶりに。

久しぶりに踊ることになりました。
何を踊ろう?という時に、Jejer Jaran Dawukという東ジャワ最東のBanyuwangiという地域の踊りを選びます。元々古い儀式に使われる踊りから、Pak Zainiという方の手にかかって、華やかな踊りが登場しました。もう30年位前の作品でしょうか。当時は新作舞踊でしたが、今では伝統舞踊として扱われるようになっています。

この踊りに恋に落ちてから、初めてインドネシア舞踊のちゃんとした衣装をそろえたのです。一番多く踊っていて、痛みも出てきていますが、同じものはもう手に入らない。自分で復刻版(?)を作るしかありません。現地にもっていっても、同じものを寸分たがわず作ってほしいと依頼しないと、おそらく模様など変わってしまうでしょう。私の持っているものは古いものなのか、同じ柄のものに出合ったことがないのです。(またはグループごとに衣装を揃えるので、柄が変わってしまうのかも)
この衣装と出会って18年になりました。子供用のサイズらしいのですが、辛うじて着用できるので、この踊りが踊りたかったら、体型は変えられません(笑)


今回、腕の飾り部分と、胸周りの飾り部分と、背中の飾り部分をひもで結んでいたのですが、布に作り替えてみました。以前、ほかのグループでこの方法の衣装を見たことがあり、着替えるのも楽だったのです。それと腕の飾りは中央ジャワは金属の飾りが多いのですが、ここは布の飾りです。基本の生地はベルベット、それに金色の紙を貼って、その上からビーズとガラス管、スパンコールを縫い付ける作業です。


なんでベルベットなんだろう?という疑問に対し、オランダ人が占領していた時にベルベットを持ち込んだと聞きました。ヨーロッパならあるだろう、ここBanyuwangiのみならず、中央ジャワの王宮の舞踊や、その他地域でもベルベットは使われています。光沢のある深い黒や赤、グリーンなどが好まれて使われています。高級感があるから?と思いましたが、外からの文化がかっこいい!と思うのはいつでもどこでもあるかと思うし、オランダ人がかけていたサングラスがかっこよくて、サングラスが伝統舞踊の衣装に使われるので、なんでもチャンプール(混ぜてしまう)でフレキシブルなインドネシアの感性に驚くことがあります。


ビーズ刺繍は習ったことがないけど、修理しながらこんな風になってるとか、見よう見まねで行ってきました。今回は久しぶりなので、出来上がりはぎこちないものになってしまいましたが、前より少しは使いやすくなっているので今回はこれで良しとします。

久しぶりに練習してみると、息が上がるし、汗もかくし、運動量の多い動きを再確認。そうだ、本域で踊るといつ踊っても息が上がってた。それを涼しい顔で踊るので、呼吸のタイミングとか思い出さなきゃ。この踊りは恋の踊りなのです。雌の馬が恋に酔って揺れている、という意味と聞きました。Jaranは馬、Goyangは揺れる。(腰を揺らす時はまさにこの言葉を使います)
細かいステップも多い、馬のギャロップのイメージかな。そして軽やかさはハチドリのように、と先生から教わっています。この踊りは女性の踊りですが、通常は男女で踊るGandrungというスタイルもあり、衣装は同じ衣装。踊り手がマイク片手に歌うものもあり、それも覚えたかったのですが、この地域はUsing族なので、インドネシア語もジャワ語もお年寄りに通じず、歌の歌詞について聞けなかったことを思い出しました。あの時は、小学生の女の子がインドネシア語とUsing語の間に立って通訳してくれました。今では世代交代も行われ、Banyuwangiが観光産業に力を入れ始めているので、もうインドネシア語だけで充分だと思います。
Banyuwangiは遠い、でももう一度行きたい。バリ島経由、フェリーで行くかなあ。。。

Robot 1 : drawing

本の通り、描けました。

これを作ってみてわかったことは、順番があること、見えない部分があることでした。
こんな風になってるんだ。やってみないとわからないです。そしてコメントというものがあって、「//」をつけて作業しているものの名前を付けたりできるということでした。今何を作っているのか、例えば頭の部分とか、胴体の部分とか。そこには日本語でも書き込めるようになってる、ということはインドネシア語でメモを残しておくこともできる。今の間はインドネシア語にしておこう。お仕事にしている人たちは、ここも英語なのかなあと思ったり。属しているコミュニティの共通言語にしておくのかなと思います。

プログラムの名前(例えばrect, ellipseなど)ジャワ舞踊の動きに名前を付ける感じに似ている。一連の動きを一つのまとめにしていて、このまとめに名前を付けているのです。このまとめの名前を羅列して、(またはまとめの名前の部分を何回繰り返しなど指示があることも→ここがコメントの部分)これだけ伝えて練習に入ることもあります。この名前を知らない踊り手は(よその地域から来た人達など)ひとまとめにされた動きがわからなくてその場で覚えなければならず、かなり苦労をすることがあります。しかもジャワ語。かなり種類があるので(古典と呼ばれる作品は、動きがすべてこのまとめの名前で構成されている)舞踊の言語を覚えないと踊ることができないんじゃないかと不安になったことが何度もありました。(舞踊の言語を使わないで覚えようとすると、すべての動きを暗記することになる)

本には、パラメータを変更してロボットのデザインに手を加えてください、と書いてあります。こちらもやってみようと思います。

身体のメンテナンス作業

年末年始、一日中歩いていたせいか、体を動かさないと調子が出ません。
今日は朝短めのコースを走ってきました。雪が残っているので滑らないように道を選びつつ走りましたがまだ雪の町、雪と樹木などが見慣れないせいか、走っていて楽しくなってきます。
時々写真を撮りながら、走っていれば体は暖かい。手はかじかむけど、暖かい首筋に手を当てて、温度調節しながら走りました。

終点はほとんどが市場。この町は市場を中心に栄えてるのではないかと思う町です。
市場で今日は魚と野菜を買って帰りました。体が冷えない程度に立ち止まって市場を見回せば、七草がゆがふるまわれている。お正月気分が十分味わえます。

夜は初泳ぎで1,000mちょっと泳いでみて、明日の朝、問題なくまた走ることができるといいなあと思います。もう歳なんだから、そんなにエネルギーを消費する生活をやめたらいいのに。という声もいただきましたが、生活してきた環境が違うので説明してもわかってもらえないだろうなと思いますので、ただ笑って聞き流しています。心配してくれるのはうれしいのですが。

寒いので家の中でお稽古して、走ることができるときには走って、泳いで、暖かくなったら振付できるように、体のメンテナンスを続けます。古傷がうずくことも多々ありますが、今の体力、今の年齢でできること、少しずつ身体に負荷をかけて、錆びというかなんというかを少しずつ緩めていくこと。この道具を使う。

プールでイルカジャンプをしながら腕の付け根から胴にかけてのつながり部分を確認。暖かい水の中の解放感は身体を預けられる信頼感に満ちていて、陸より、水のなか、または空中で身体を自由に動かせたらいいなと思います。

いつまで踊るのかなあ、わたし。と書いた後で、暖かくなったら、今度こそカポエイラ習いたいなあと思うので、もう少し、体のメンテナンスをしながら踊っても良いかなと思います。

深センとマカオを歩いてく

とにかく暖かいところに行きたくて、でもジャカルタジョグジャカルタは遠すぎて、というところで思いついたのは香港経由でどこか、でした。2016年のmaker faire Shenzhenは10月開催でしたが、台風通過で開催が1日短くなり、台風一過でも汗だくで見て回っていたからです。年末でもきっとあったかいよ、うん。割と簡単に決めてしまいました。

出発する週は雪が降り、鉄道が予定通りに走らないことを想定して搭乗日の前日に深夜バスで関西空港へ出発、関空から香港に飛んだら1時間遅れ。香港空港からどうやって深センに入ろうかといくつか選択肢を考えていましたが、今回は結果としてSkylimoになりました。

Skylimoは、インドネシアだとtravelと呼ばれる乗り合いのリムジンタクシーと同じです。空港からポイントになっている行き先まで車で送ってくれます。一台につき7〜9人(車による)乗れるものです。専用カウンターで、行き先を探してお金払って乗車まで一緒です。地下鉄で行くよりちょっと高いけど、荷物がある時は乗り換えも無くて楽。これでもいいかな、まあバスで国境近くまで行ってから地下鉄で国境を越えようかと思っていました。

バスやskylimoの専用カウンターはターミナル2。バスは…と探していたら、カウンターのおばさんから、深センか?と声をかけられて、深センなんだけど、翻身駅に行きたいのです、と地図を見せながら説明したら、地下鉄の乗り換えがたくさん、Skylimoで蛇口はどう?と勧められ、ああ、行ったことがあるから大丈夫かなと思って、我想买这个车票(このチケット買います)と何とか中国語で言ってみると通じた!やったあ!と喜びながらお金払ってペットボトルのお水をいただいて、喜びを噛み締めていたら快走啊!(あ、聞き取れた?)、急いで!って言ってる?
左腕を叩かれたと思ったらSkylimoシールが貼られ、六号!(6番口!) という声を背中に受けて走りました。私が最後の乗客だったのです。

タクシーにはすでに6人の乗客、私の荷物は車の後ろに放り込まれてすぐ出発です。そうだ、パスポートを運転手に預けるのはちょっとびっくりした。护照(huzhao)!え、ふー、何? お隣の若い男性がpassport!と声をかけてくれたのでわかったけど、パスポートを知らない人に預けることをしないので、内心穏やかではありませんでした。

香港を走ること50分位。たまに渋滞はあるけど快適に進んでいくと、料金所みたいなところで一旦停車。やたらと明るい窓口がイミグレーションで、乗客は車に乗ったまま、運転手のおじさんがパスポートを渡して、しばらくすると少し前に進んで、次の窓口で、係官が車の窓越しに、一人ずつ名前を呼んで、顔確認をし、質問があったらそこで行い、香港から出国になったのです。
楽に出国かあ、と喜んでいたら、次のポイントで車は停車。乗客は降ろされ、荷物を持って入国になります。私は予備知識ない、でもなんとかしないと。外国人レーンを探し、出入国管理カードを見つけ、イミグレーションの窓口に行き、荷物検査をして中国に入国。自分が今どこにいるのかわかってない状態での手続きは度胸と楽観視で乗り切っています。
インドネシアはすでに出入国管理カードが廃止されているので、よその国に行く時は気をつけなければと思います。

建物から出てみると。
バスターミナルのようなところで、ここどこ?になりつつ周りを見渡せば、見たことのあるLED電飾のビルが向こうに見える。蛇口のフェリーターミナルでした。ここまで来たら何とかなる。Skylimoの窓口おばさんに感謝です。最寄りの地下鉄駅を探して歩けば良いです。

ネットはインドネシアのtelkomsel経由で繋いでいるので、そのままグーグルマップが使えます。地下鉄は深センの交通カードを持っているので、PASMOのように使います。乗り換えもスムーズで駅の構内はわかりやすく、中国語がわからなくても英語表記があるので安心です。私の深セン交通カードは路線図付きなので乗り換えもわかりやすい。
翻身駅から歩いてホテルまでは、暗いしお腹空いてるし、少し心細くなりますが、歩きやすい歩道があるんだもの、まだ恵まれてる。携帯片手に歩けるということは安全かなと。


泊まるすぐ近くには広場があり、暗がりでは社交ダンスチームが100人以上、向こうにはヒップホップにと4グループ以上が住み分けするように踊っていました。なんだか面白い。夜更けの踊りの練習は自分もまた公園などで練習していたので理解できます。ああ、参加したいけどなんて言えばいいんだろうと辞書を引いたりしながら、見ていました。