バラハク 西原理恵子博覧会

不覚にも、涙してしまいました。
周りに誰もいなくて良かった。
http://ameblo.jp/saibararieko/day-20090501.html

りえぞうさんとの出会いはインドネシアででした。
友人がりえぞうさんの漫画を送ってくれていたのです。
ちょうど鴨ちゃんの話とあいまってインドネシアに暮らしていた私には
「わかるよ〜!!!」
という場面に何度も遭遇していました。
そもそも、日本語が自分の独り言以外ない状態でしたから
日本語に飢えていた私にとって、時にやさぐれているりえぞうさん
ほんとに身近な存在だったのです。

鴨ちゃんのアル中のころ、私はある人の病でてんてこ舞いでした。
その日日一日と、病状と本人の機嫌と状態と見通しと。
りえぞうさんが闘うように病と向き合っていたように思います。

りえぞうさんの子供の頃の話は、少しかぶるところも出てきます。
そして貧しい連鎖から抜けられない、抜け出ようと努力する姿は
まさに私がインドネシアで見てきた風景でした。
鴨ちゃんのように戦場まではなかったけれど、
隣町での焼打ち事件、中華系の間に広まった恐怖は
見てくれが日本人に見えない私にとって、予想しうる恐怖でした。


もう、何年もたっているのに。
りえぞうさんの原画を見ていて
そして家族の話、戦場での話を見ていて
いろんなことがいっぺんに押し寄せてきて
ひとりで目を赤くしていました。
鴨ちゃんの「かあちゃんがすきだから、こどもたちがすきだから、ぜったいもどってくる」
という言葉に胸を突かれる思いです。
それを見守ってともに歩いてきたりえぞうさんの視線が包み込むように暖かい。


日本に戻ってきて、日本の生活に合わせてきて
大分経過したはずなのに、昨日のように思い出してしまう。
と思ったのですが、インドネシアのことだけではありませんね。
りえぞうさんの原画を見ながら気がついたのは
わくわくしながら生きてきた時間をとりだしたのだ。
それは子供の時間だけでなく、子供のように過ごした時間もそうなのだ。
だからこそ、
貧困の連鎖から抜けきれずにあがく人たちのことを子供のように
受け止めて悲しくなったりするんだろう。

りえぞうさんにスイッチを入れられてしまいました。