苦手なもの 言葉、ことのは

昨日の日記を書きながら寝てしまいました。


私は文章を書くのが苦手です。何とかこの苦手意識を克服出来ないかと思って、ブログを始めてみたのですが、やっと100日を越えて続いています。それでも苦手意識はなくなりません。まだまだなんだなぁ。


誰かに何か伝えたいと思うものは文章にしたほうが伝わりやすいのですが、伝えたい「何か」は、頭の中では映像だったり写真のような形で浮かびます。
「何か」は日常突然現れるもので、かなり鮮明なものもあり、長い期間、記憶に残ります。
夢の続きを見るように繰り返し現れたり、発展していったり。しばらく記憶に残る夢を見ていませんが、覚醒している状態で夢をみているような感じでしょうか。
まるで知らない誰かの頭の中を見せられたように、突然現れるものなので、余りに続くとこれは何らかの形にしたほうがいいかなと思います。見えたものを具体化することで、この見えた世界を自分から切り離していけるような気がするのです。


文章にすることは具体化する手段の一つなのですが、止まらない映像や瞬時の映像は言葉にならず、自分の中にとどまり続け、それなりに重くのしかかってくることもあります。ダンスを続けることは言葉にならなかった「何か」を体の動きなりなんなりにのせて吐き出しているような気もします。


見えてしまったものを形にするには、一人では何とかならないものもあり、誰かに伝える、説明するにはここで言葉が必要になってきます。ことのは。

散らばった言葉を集めて組み立てていく作業は文章を組み立てていくことと一緒。それが書かれるものか、体を通していくのか。


小さな試みから何が生まれるのかわかりませんが、出来れば自分が見た映像のように楽しめたらなと思うのです。


ものつくりに反映されていく「何か」は作ることで解決(!?)される方法がありますが、日常的なものは、どうしたらいか未だにわかりません。ある人のイメージだったり、風景だったり、時間的なものは、取り扱いに注意なのです。見えてしまう、という似たような経験を持った方はいらっしゃるんでしょうか?