誘惑に負けて これから考える のこと。

買ってしまいました。

白地に紺のバティック。手書きですが割と簡単に描かれているもので
確かそんなに高くなかったような気がします。
私が初めてインドネシアに行き始めた1995年。この手のバティックは
割とお店に並んでいたのです。手作り感あふれる素朴な作り。田舎でつくりました感が
にじみ出るちょと手抜き感もある。でも白地だから、普段おばあちゃんたちが使うには
汚れるし、透けそうだし、どういう目的で作られていたのかよくわかりません。
ある時は簡単に見つけられたのに、気づくと市場からなくなっていた代物でした。
買い物に行くブリンハルジョでは見当たらず、ミロタバティックでも見つからず。
この手がほしいと思い始めた2000年には、私の町では見つからなくなってしまいました。


インドネシアにいたころはほんとに慎ましい生活をしていたので
踊ってもらえるお金である程度生活ができてました。大学の学費はちょっと無理だけど
毎月の生活費は何とかやりくりできた月が割とあったかな。
そう思い込んでいたのかもしれませんが、じゃあ、バティックを買おう、
となると、貯金を使わざるを得ない。着るものは、誰かの踊りに選ばれて出演したり手伝うと
お礼にTシャツをもらえる習慣(!?)がありましたから、踊り手として参加したり
制作をやったり、衣装を担当したりとお金がもらえるもらえないを考えずに動いて
Tシャツだけはたまっていきました(笑)
いつもTシャツにカンフーパンツみたいな黒いパンツ(そのまま稽古着)
友達からもらったジージャンを着てバイクに乗って大学と稽古場を移動する日々。
サイドビジネスをやろうなんて考える暇なく授業とひとさまの稽古と、
ひとさまの稽古を見に行くのに日々を費やしてました。
ほんとにお金がなかったのです(そもそも貯まる生活をしていない)
自分の作品の上演を頼まれて、どこかの町に行くときだって、
大学のバスを借りたり(飛行機でも行けるところ、一日以上かかった)、
首都のジャカルタまで行くのに12時間かけてバスで行ったり(ビザの延長手続きでも)
汽車で行くのもエコノミーに近いところだったり。
お金がないって、ちょと根性のいる生活だったのだと思います。


そんなこんなで手に入れられなかったバティックを今、日本で買うはめになるとは(泣)
簡単に買いに行けるところにいた時は、お金がなくて
お金が多少ある時は、買いに行けなくて。なかなかうまくいきません。
この布を見るたびに、当時の慎ましい生活を思い出すのかしら。
踊りにも使えない布をどうするべきか。
しばし考えることにします。