大野一雄さんがなくなりました。

舞踏の大野一雄さんが永眠されました。


山海塾に出会って、そこから大野一雄さんに出会って。
私が初めて大野さんの踊る姿を目にしてから、20年以上たちます。
そのころから、これが最後の舞台になってしまいませんようにと
思いながら、白に染まった大野さんを見続けてきました。
ふかふかの大きな手。
戦争をくぐりぬけてきた目。
空に向かって開いた口は
底なしの闇と天にむかう声なき声に貫かれます。
年を重ねていっても、興味あるものに向かい、努力し、体得していく。
踊ることは年を重ねていってもできること。
重ねたからこそ生まれる動きや思い。
インドネシアに行く前、大野さんの踊る姿を何度も見に行きました。
インドネシアで大野さんは、高く評価されていて
「BUTOH」となにか。「KAZUO ONO」を見たことがあるかと
舞踊家たちは知りたがっていました。
私の知っている大野さんは
舞踏家としての大野さんもありますが
舞台がはけて、お客様の前に現れた時の
少しちいさな大野さんでした。大きな包み込むような暖かな手でお客様と握手をされていました。
お年のせいか「ああ、何を話していたっけ」とちょととぼけられることも。


自宅のお稽古場で、花について語っていたこと。
目に見えない花を持ち、説明しながら踊りだしてずっと踊り続けていた大野さん。
とどまることなく、聞こえない音楽とリズムに満たされながら
大野さんが踊る姿をよく覚えています。
私が演劇から踊りに飛び込んだのは
言葉を介さないで体を通して語る、伝える大野さんを見ていたからかも知れません。
かの地で創作をしていた時も
踊りで迷いが出てきた時、大野さんの花を持つ手を思い出したり
体の動きをまねてみたり、踊る姿を思い描いたり。
大きな支えでありました。
見た目は全く違うことをしていましたが
年齢を重ねて、おばあちゃんになっても踊っていたい、その時にこそできる表現がある
そのために、今できること、挑戦したいことをやっていこう!
と思っておりました。


今頃は軽やかに踊っていらっしゃることと思います。
お疲れさまでした。ありがとうございました。