台本を読むように

何が怖かったのかが自分の中で見えてきて、少し落ち着きました。
そうなんじゃないかという問いに今の私はやっと今の答えを出した。
この答えはまた、時が変われば変わるのかもしれません。
そう、今は怖いと思うし、不安と思うし、でもこれからは逃げられないのもわかる。
そして期間限定であること。
時間もないこと。
云々…

やろうと思っていたことに手をつけてみて、それを応援してくれる友人が連絡をくれて
大丈夫、何とかする、何とかなる。とふうと肩の力が抜けた気がします。

泳ぎに行こうか、どうしようかと思って
今日はインドネシア舞踊の練習をしてみました。
たかが4曲。
お稽古にも使っていた曲なのに、すぐに出てこない。
何度か繰り返すうちに頭で思い出せないものを、体が思い出す作業に入ってきて
不明だったところがゆっくり立ち上がるように体にしみこんできて
まず4曲、思い出して踊ることができました。よかった。
絞ることができるくらい汗をかきながら(膝下の汗は久しぶりだ)
腕も脚もだるくて、少しへこみながらも
まだ踊ることに戻ることができるかもしれないと
今ならまだ、踊れそうだという道が見えてきたような気がします。

こんなやみくもな状態を体験することが遠い以前にありました。
まだ、お芝居をしていた頃です。
渡された台本に途方にくれながら一人でうんうん困り果てていた頃。
自分の役柄はどんな人になるんだろう、手元にある台本の言葉からは
その人の姿が立ち上がらない(そんな感じでしたから、舞台の仕事から降りた訳ですが)
その人に出会えない恐怖感。
雲をつかむような状態から
その人の発する言葉を自分に取り込み、何らかのよりどころを探して
ある、その人を立ち上げていく作業がお芝居になっていた、と今では思います。

今も一緒。
台本を渡され、途方に暮れる。
そのお話が掴めなくて、登場人物も読み込めなくて
その前に、この台本の中のどの役目が自分なのかもわからなくなっていて。
そこに刻まれているのは自分なのですよと
その答えに行きつかなくて、うろうろしている。

何とかなると思って何とかしてきたのですが
ほんとは何がしたいの?というところの答えは
何か新しいもの見たい、何か新しいことをしたい。という単純なものです。
好奇心の生まれるものを見てみたい。面白かったら誰かに伝えたい。
コドモの好奇心のままですが(笑)
それが私の役どころ、たぶん。
自信の持てないものだけど、それを鍵に台本を読み解いてみる。

訓練してきたことに立ち返ることができる。
踊りも訓練の一つであり、未知のインドネシアを知る鍵の一つです。
台本を読むように。
現状を読み解いて、訓練、基本に戻って。

色々考える時間にたどり着いているようです。
それもいいこと。
まだ台本を読んでいるようなころだから。
本番はまだ先。
そのための準備期間。
そう思えるようになったのだなあと。遠回りしたかもしれないけど
ひとり のじかん を持ててよかった。
しばらく ひとりのこわさ と歩いていきます。