できないこととできないことの先

見に行くだけのmaker faireはとても楽しいものでした。
そもそも、知らなかった新しい世界をのぞきに行くのですから、楽しくない訳がありません。海外のmaker faireは、今、多くの人が注目しているような技術や発想が展示され、私には理解できない魔法の杖、そして使いこなす魔法使いに会いに行けるようなところでした。私にとって、最新技術は使いこなせない魔法であり、魔法使いのプレゼンや映像、繰り広げられる魔法の腕くらべを隅っこから楽しんできました。

東京で行われる文化庁の芸術祭を日本に住んでいた時は見に行っていましたが、技術に支えられた素晴らしい作品、の先を私は理解できない、知識もないしこういう分野の仕事をしてきたこともない、だから目にするだけでそれ以上を考えることなく満足だったのです。

ジャカルタで少しお手伝いをさせていただいた方から、maker faireの存在を教えてもらい、シンガポールmaker faireに足を運ぶようになりました。子供達の植物プラント実験研究や、光る何かやロボット、わからないけど触りたくなる、作ってみたくなるもの達。でも、出来っこないだろうな…。だったのですが、今躊躇していたら、ずっと隅っこから見てるヒトのままじゃないかと思ったのです。今から魔法使いになってみない?できないことの先を見てみない?

踊りの振りつけでやってみたかったこと、(今でもやってみたいこと)に光を扱うことがあります。光を持ち歩くためにはどうしたらいい?を考えると、まず電気で光るってどういうこと?から始めました。LEDランプを光らせる、つけたり消したり。シンガポールに行くと、future kit という自分で半田付けしながら灯りなどを作っていくキットを見つけて試してみました。うまくいくもの、いかないもの、魔法=技術は手を動かし学ぶ時間が必要で、いい年をしたおばさんにはかなりのハードルですが、ごはんのための仕事でもなく、学校のように締切があるものでもなく、やってみたいし手を動かしながら遊び始めました。

もう一つ始めたものが、英語と中国語です。
外国語を話す身体の感覚はインドネシア語を話す感覚で、もう一つ新たな言語を追加するのが難しくて、身体に英語を追加することを何度も挫折していたのですが、maker faireの共通言語は英語なのでした。共通言語ができないから、魔法使いから説明をされてもわからない。質問したくても手段がない。
仕事が終わってから遅い時間に付き合ってくれる英語の先生を見つけて基本から英語を始めました。学び障害?あるのでそれを避けるためにも中国語も始めて、言語感覚が身体の中で混乱しないように少しずつ、共通言語に馴染んでいく作業です。

できないことの先には何があるのかわかりません。
でも、経験としてできない、無理だと思われたこと、思ったことが試してみたら自分にとって恋に落ちるくらい好きなものになったり、私を支えるものになっていることになるのもわかってる。それから5年先、今のように踊る身体を維持できるかというとかなり難しいので、踊りに替わる次の愉しみになったら良いかなあと思います。