今頃はどこかな 

高校の時にお世話になった先生の訃報を受け取りました。
島じい、と呼ばれる国語の先生です。
高校一年の最初の授業が、武田泰淳の「ひかりごけ」でした。
ひよひよとした私の頭に、ガツンとくる内容をたたきこんだ先生でもあります。
良く覚えていますが、最初の授業に
ひかりごけ」の環境になった時、

 死んだ友人の肉を食べる
 死んだ友人の肉を食べずに死ぬ
 逃げだす(食べられないように)
 生き残るためのひとに、自分が死んで自分の肉を差し出す

を必ず選べ。という授業でした。
肉を食べてでも、生きたいと思う、でもそれを言いきれない
そんなもどかしい、生きる方法、あり得ないよそんなこと、
と言いたい自分。
先に、死んでしまっても、いいかなあ。

高校生なりたてののほほんとした生徒たちに島じいは容赦なく問題を突きつけ
挙句に、話し合いをさせることにしました。
この授業は一学期中に近い位扱われた教材で、困惑した中から
人のためになること、自己犠牲や、生きていくこと、人の命というものを
考えさせられる授業でした。今でもその時の教室の雰囲気や浜じいの声を覚えています。

尊敬する人を挙げよ
という質問に、「父」と書いた私を浜じいは驚いていましたっけ。
ここ何年もいなかったんだけどって。
ほんとは、「じい」なんてつけるには、失礼なお年だったけど
みんなに愛されて「浜じい」と呼ばれていたように思います。

退職されてから、世界の各地に出かけ、日本語を教えていたということでした。
みんなに愛されていたんだろうな。
お酒を飲むと、赤ら顔になってた浜じい。浜じいの由来である
顔に刻まれた深めのしわは、お茶目なおじいさんを思い出させます。
ああ、会いたかった。

ご冥福をお祈りします。
私の尊敬する、大好きな先生でした。