終戦の日

今日は終戦の日でした。


我が家は子供のころから戦時中の食事が出されたりする特別な日でしたが
すいとんだったり、いもがら(サツマイモの茎)だったり)
子供のころから、何で「敗戦」の日にしないのか疑問でした。
終戦」というと自然に終わってしまったような、それから責任感がないような
そんなことをなんとなく考えていたのです。
戦争を始めたのはどちらか、または誰か、ということになると日本から
戦いを始めたんじゃないの?
負けたんだから、次の世代(私たちも含め)のためにも、「敗戦」を認め
以後繰り返さないように、記憶にとどめられるように「敗戦」にしておいた
ほうがいいんじゃないのかな、と考えたこともありました。


沖縄でひめゆりの塔に行ってきました。
本で読んだり、体験者の話を聞いたり映像でみたりしていたので
行ってみようと思っていたのです。歴史を知るためにも、何が起こったのかを
現場で知りたいと思っていたのです。
若い人たちがかなりいたこと、戸惑う表情を浮かべていたことが印象に残りました。
なぜこんなことになってしまったのか。
戦争が愚かなことということもそうですが、なぜこんなことに?
ということのほうが大きかったのだど思います。


日本は戦争を行い、他国を侵略し、他国と戦い負けました。
日本の戦後はアジア各国に謝罪をし(これもいろいろありますが)
不戦の誓いをたて、今日に至っています。
日本人は負けたことによる恨みつらみを前面に出すことなく、遺恨を残さずにいられる
民族であるという認識を持っています。
ここに、「敗戦」ではなく「終戦」なのだなと思うようになりました。
原爆投下された広島や長崎、そして島全体が戦禍に巻き込まれた沖縄。
共通するのは平和への願いです。同じことを繰り返さないことへの願いです。
世界各地で戦争は続きます。宗教間の争い、民族間の争い、領地の争い。
過去の遺恨から発生する戦いそのものを終わらせるための「終戦」の日。
第二次世界大戦大東亜戦争)に負けたということより
戦争そのものを日本という国において、二度と起らせないための「終戦」。
そう考えると物事がすっきりするなと思いました。


私がバイクでのんびり走った道は
沖縄戦で人々が戦禍から逃げまどった道でもあったでしょう。
8月15日が「終戦」の日であることを祈ります。
日本の歴史の中で、この先も最後の「終戦」の日であること祈ります。