わからない、ということから理解する。

よく知っていること、当たり前のことが、ある日突然理解する、ということがあります。
それと、一応こなせるんだけど、でもまだここ!というのがよくわからないものもあります。
そんなことに悩まず、物事を受け止め自分のものにしていける人というのが
とてもうらやましいです。でも、わからない。からスタートすると、「わかった!」
という瞬間を体験できるのでそれはそれで(いつ来るかわからないけど)
器用な人たちにはなかなか体験できないことを身をもって理解できるので
まあ、仕方ないと思います。


もう、人間をやってきて、いまだによくわからないのが、腰を掛ける、座り方
ということが私はいまだによくわからないのです。
もちろん座るし、もう何十年(笑)もやってきていることなので、今更何を?
ということなのですが、それでもいまだに腑に落ちません。
歩き方、ということが何だか見えてきたのも、踊りを始めてから。
(見えてはきたものの、いまだに歩くって難しいのです、日常生活も含め)
走り方は、高校2年だか、3年だかで、やっと何なのかわかりました。
どうしてこう、理解することに時間がかかるんだか(爆)
水の中のことがどういうことなのか分かってきたのも、大学に入ってから。
もっと早くわかっていたら、もっと早く泳げてたのになあ(泣)
としみじ〜み思ったものです。年を重ねた後のほうがタイムが速くなっている
という、なんだかな〜、の私です。


インドネシア語はジャワ語訛り。
これは、私が勝手に師と仰いだ方のアクセントから、話し方から笑い方から
間の取り方まで、徹底的に(と当時は思っていた)研究した結果です。
わからないものだったので、まずは真似をしてみよう、というところからスタートしたのです。
文法や語彙といったものは後回し。とにかく、相手を見る、観察する!
いまだに文法はよくわからないまま、インドネシア語を使っている有様です。
踊りにいたっては、ひたすら先生の後を追いかける。
言葉のわからない頃は、トイレまで追いかけたことがあります(笑)
自分でもあきれるほどの、物覚えの悪さ。
ちょっとでも分かったら(と思いこめるものを手に入れたら)
あとは自分の体に定着するまで繰り返す。つまり、体の記憶に頼っていて
思考として覚えていないのです。踊りを教える時に、いつも冷や汗をかく原因です。
曲を聞けば体は動くんだけど、曲なしでは説明ができない(汗)


新しいことを身につけるって大変です。
そう、覚えるというより、できるようになるというより、身につけたいのです。
こんな簡単なことがどうしてうまくいかないんだろう、ということを
繰り返し繰り返して、体が納得するまで(感覚が納得するまで)
やっていかないと、受験勉強のようにその時だけ出来て、あとは
忘れてしまう…ということにしたくない。(それくらいしか勉強しなかった)
インドネシアから帰国してはや、8年になりますが、まだそれなりに使えるのも
インドネシア語を身につけたからかなと思います。
(年齢に置き換えると小学校3年くらいのレベルで止まってます。
せめて中学校くらいまでいきたかった)


「ローマへの道は一日にして成らず」
というお言葉を頂いたばかりです。ええ、まさにそのとおり。
今度こそ、身につけようと決めたものがあります。
牛歩どころか、蝸牛の歩みで身につけていくんだろうな。