“モモ”と“はてしない物語”

友人の家で、“モモ”と途中まで読んできたので、続きを読んでみました。
そうしたら、そのあとは“はてしない物語”になります。
この本を私は中学生の時に読み始めました。
読み始めた、というのはそのあと何度も読み返しているからです。
それでももう、ずいぶん前に読んだきりだったので
改めて読んでも引きずられるように読んだ本でした。
“モモ”は読み終えたけど、“はてしない物語”は恐ろしくなって
途中で手を止めてしまいました。続きは読めるだろうか。


モモは時間を、はてしない物語は記憶というものがカギになります。
時間と記憶はつながっているもの。そんな思いでこの話を続けて読むことになりました。
自分自身の時間は、自分から時間銀行におさめていないだろうか。
記憶を自分の欲に使ってしまっていないだろうか。
読めば読むほど、私もまたこの物語を構成する一つの要素になっている気がします。
時間銀行にあくせくと時間をつぎ込み、時間の花を凍らせてしまっていて
人の話を聞かず、大切なことを時間を貯蓄する合間にしか聞いていないのではないか。
富を、名声を、効率を!
本屋さんには灰色の男たちが喜びそうな本がたくさん並んでいます。
興味はある、けど、手にとれない。
あまりに多すぎて、見定めることができない。


初めて読んだとき、何を思ったんだろう。
モモはあまり印象に残っていません。はてしない物語は、自分が主人公の男の子
セバスチアンのように、入れ替えができるのではないかと希望しました。
今の私は言葉にできません。
この二つの話ははたして子供のための本なのだろうか。
今、読めて良かったなと思います。
なぜかは、今答えを出せない。でも、はてしない物語は読み終えようと思います。