The Cove を見てのこと。

仕事帰りに、関内の映画館で見てきました。
お客さんは10人くらい。初上映の日には反対派の人たちが押し掛けた!
ようなニュースが出ていたのでちょとだけ勇気を出していきました。
気になっていた映画だったのです。
しかも上映が取りやめになってしまったり。
この映画を亡くなった父はどんなふうに見ていたかな、何を言うかな
そんなことも考えましたが
まずは自分の目で確かめてみる。でないと人伝えでは分からないんだ。


子供のころの給食には、クジラの竜田揚げがあり
田舎に帰った時、クジラの味噌汁を出されました。
ご馳走でした、クジラって。
という自分も含めてみてみました。
クジラを食べる地域性、イルカを食べる地域性。
視点を世界に置き換えてみると、誰も世界全体を把握することはできない。
イルカを食べる日本の文化がある、それを大都市の人たちに聞いて回るシーンがありました。
驚く日本人。かわいそうという人たち。
それはその地域のことを知らないから。
生まれながらにそうした地域で育てば、イルカを食べることも、クジラを食べることも
違和感がないと思います。
私はそうした国に生まれました。そしてそうした時代に育ちました。
外国に行くチャンスがあって、その土地では犬や猫をかわいがるという習慣に
あまりなじみがない地域があって
私が猫に餌づけをすることで、周りの人たちと緊張関係に陥ったことがありました。
その猫は捨てられ、その土地になじまないことをするということが
何を引き起こすのか、自分の価値観を押し通したことが何をもたらしたのか。
他愛もないことのつもりが、他者にとってどれだけ不快感をもたらしていたのか。
戦後すぐ、食糧難で苦労した世代は犬の味も知っている。
愛玩犬という言葉もある国で、同じ犬を食べることもありました。
地域性にふれないと見えてこないことってある。
その土地に生きてみないと知りえないことってある。
その土地だけでなく、その時間性も含めて考えることがある。


とてもメッセージの強い映画でした。
正義があり、その正義は深い反省から生まれたもので
無知な悪(あえて書きますが)に手を差し伸べようと試みたことも描かれていました。
それは、正義なのだろうか。
それは、悪なのだろうか。


知性の高い動物を食することは、悪なのか。
人類の友人としての生き物を残虐に狩って胃袋に収めてしまう。


私は、インドネシアジョグジャカルタで、イスラムの犠牲祭を見ていました。
殺される寸前まで草を食み続けるヤギ。
暴れることなく、でもじっと自らの運命に耐えるような感じに見える牛。
祈りをささげられた後、首を切られてヤギも牛も同じように解体されていきます。
そしてその肉が配られて、私たちの胃袋に収まります。
日々、目に見えないところで私たちはその現場を直接知ることなく
その恩恵にあずかっています。どんな食べ物でも。そうして自分の命が続いています。


おそらくないと思うけど(たぶん絶対)
批判する観点から(攻撃する観点から)だけでなく、相手の立場にたってから
もう一度自分の視点に戻ってみたら、すこしでもお互いの理解が可能になったと思ったのです。
なぜイルカを食べるのか。
そのなぜが、地域性に属している伝統(または文化)であることをひとっとびにして
日本という大きな地域性にされてしまっているので
The Coveという地域が野蛮化されているような気がします。
知る権利はある。ただ、知るには一方的な見方だけでは判断できない。
この制作者たちは、日本人に見てもらいたい、知ってほしいという。
それはそう思う。知るのならば、The Coveの地域の人たちの声も聞きたいと思う。
正義という感情を振りかざしてしまうと、どちらも正義になってしまう。
ここには争いしか生まれない。


結論は出せません。
白か黒か。
ということに落ち着くものでもないのです、おそらく。