どうして踊るのかな。

今日は、モンキーフォレストで踊ってきました。
ジャワ舞踊の川島未耒さん、美しい宮廷舞踊が見られて嬉しかったです。
一つの地域をきちっと学んで表現できるのは伝統の強みです。
柔らかな動きや、穏やかなほほ笑みはじんと心に残ります。
体型の違い、生まれの違いを乗り越えて日本人ならではの見方や研究の仕方も
あるなあと思います。
いろんな地域をかじりついてきましたが、じっくり一つの地域を学んでこなかった
自分の行動パターンをちょと反省しつつ
今からでも遅くないかなぁ、どこの地域が今踊りたいんだろう?
とどうどうめぐりをくりかえしてしまいました。


今日は今までやったことのないことを実は試してみたのです。
音楽のライブを見に行くと、演奏した後、演奏者がちょとお話をする。
踊りでやってみたらどうなんだろう?
以前から「試してみなよ〜」という声をいただいてみたので
踊ってすぐ踊りのことなど話してみるという、現地の先生でもやってこなかったことを
ちょと挑戦しました。
やってみた感想は…
ちゃんと日本語になっていただろうか!?


踊りのことを話そうとすると(しかも原稿無し)
踊った直後だけに、いろんなイメージが大挙して頭の中をめぐっていることに気がつきました。
こんなことを思いつきながら踊っていたのか、あたし(汗)
お勤めしながら(?)電車の中で、いろんなところで
どういうことを話すかイメージをしていたのですが
踊った直後というものは、頭の中が夢を見ているような、大量の未整理データが
放り投げられたような状態になっていました。
この状態で何を話すんだ!


単純などの地域で何という踊り、までは取り出すことができるけど
その先にある、イメージたちは我も我もと騒いでいます。
今日踊ったKunthuTiflanは、
バゴンさんのところに世話になるようになってすぐ見た踊りでした。
確か、寮に入って翌日くらいだったかな。
想像していたジャワ舞踊のイメージを崩された!とってもかっこいい!
その時の印象や、その踊りの原点が知りたくて
kunthulan(こちらがもともとの踊り。kuthutiflanは、少し手を加えたもの)
のグループを見学させてもらったことや(もちろん先生に連れて行ってもらったわけですが)
ごつい手をしたおじちゃんたち、びしっとした練習風景、
Sobiniさん、(この人がこのグループの長でした。まだご存命なのかしら…)
私の先生に尊敬の意を表そうとして、ジャワ語の尊敬語で先生に話しかけて
先生は私のために(と思われます)インドネシア語で返事をしている不思議な風景や
友人達がこの踊りを公演のために練習しているところ、
楽器を演奏しながらからかいながら笑っているみんなの顔
私もやっと教えてもらえるようになって、力任せに踊って
先生に思いっきりだめだしされたこと(そう、これは試験の時だった)
同期が公演で踊っているのに、私だけ蚊帳の外だったこと(そりゃ、下手ですもん)
大勢が一糸乱れぬ形で踊っている姿にうっとりしたこと
もう、書ききれない量のイメージがどちゃっと押し寄せたのでした(笑)
一度、はけてから改めて戻って話をしたら良かったかも。
少し平静に戻れたかもしれません。
踊ったその場でそのまま話をするというのは、ちょと息が切れててみっともないというより
頭の整理をしないまま、踊った感覚で話をすることでした。
なかなか味わえない気分です(笑)


自分が踊らない曲について話をするのは、比較的楽でした。
だいたいイメージしていたことを伝えることができたかなと思います。
クジャクの踊りだったのですが、鳥らしい動き、ヒトらしくたおやかに
見せる動き、そして踊り手が細かいところで鳥らしく伝えられるように
太鼓でリズムを刻んでいるのを、改めて納得しながら見ていました。
これならいろんな人が作りたくなるだろうなと思います。
それを伝えられるのも踊り手です。もともとは2羽のクジャクの踊りなのですが
それを一人で踊ってもらったのです。
ふとしたところで見える動きに見えないもう一羽のクジャクの存在が見える。
作り手の技にも驚きですが、それを伝える踊り手もまた、
あったことのない作り手の思いを伝えてくれています。


二曲目の自分が踊った踊りは、ワンフレーズそっくり飛ばしてしまったことに気がついて
慌てたせいか(たまにあります、太鼓の音を聞き間違えてしまっている…)
踊った後に話をしたことが、自分が習っていた時に
地域の違いが良くわからずに、悩んでいたことを話していました。
誰か、止めて〜(爆)
好きな踊りです。細かい背景がわかりませんが(先生に聞きそびれてしまっているのです)
この踊りを振りつけた人が
こんなところが好きだったんだな、とか、こういう約束事をみんなで考えたんだなとか
踊れば踊るほど作り手のことを考えたりしています。
全部妄想ですが、ここの太鼓のところは、演奏者は「快心の一撃!」という太鼓をたたき
それを受けた踊り手が「どや!」っと答えて
「キタ〜(ほほえましい笑い)!」とともに他の演奏者がわあっとはやし立ててるよ、今!
なんて考えてます。(勝手に頭の中でその図を描いています、映像で)


ソロの王宮、マンクヌガランのガンビョンを踊って下さった川島未耒さんの
説明は、一般庶民の踊りと異なる王家の秘宝ともいえる舞踊の存在を伝えていました。
愛情あふれる言葉に頭が下がります。ほんとにありがとうございます。
やはり、いきなりできるものではありません。少しずつ努力しよう。
体系を整えて話す(書く)練習も必要でした。
人に何かを伝えるのって、準備も経験も必要。やっていかないと身につきません、たぶん。


どうして踊るのかな。
改めて考えます。
自分勝手ですが、私が初めて踊りを見た時、言葉にならないほど面白かったんだと思います。
そして見た現場は、誰一人私の言語を理解する人がいなかったこと。
このもどかしい思いを、今は踊りという言語を使って「面白かったんだよ〜!」
と言いたいのかもしれませんし
普通の人が踊っている(私の踊っている踊りは、ほとんど庶民の踊りです。普段は
普通のお仕事人ばかり。運転手さん、お手伝いさんから、農家の人からさまざま)
のに、こんなにすごいんだよ〜!
ということを言いたいのかもしれません。


どうしてなにかをするんだか。
たくさんのバティックを持ち込んで、「バティック行商のおばちゃん」よろしく
布を広げてこんなに面白い!といっていたり
ただ単に着ているひとが見たかったという理由で
バティックの浴衣を持って行って着てもらってわくわくしていたり。
(自分で着ないのがいいのです。見て満足(笑))
ライブとしてはちょと失敗ではありますが
一緒に踊っている人の踊りをじっくり鑑賞できて、いろんなことを考えることができて
初めてのことを試すことができて実りの多い時間でした。
こういうチャンスをいただけたことに感謝です。
一緒に踊ってくれた人たちにも。そして記録を取ってくれた青木さん、
笑顔を絶やさず手伝ってくれたFiviさん、terima kasih banyak!