一週間じゃ決められないよ。

コドモ時代の終わりにつきつけられる進路。
入試のために、将来何をしたいか、という進路を一週間で決めてきなさい。
という問いに「一生のことを一週間で決めてこいって無理だよ」
と彼はいいました。
世の中にある多くの職種を知ることなく、人生の方向を一週間で決めろって。
物事を知った上で決めたい。
私がかつて彼と同じ年の時、私は演劇にはまっていました。
でも演劇を続けていくことが仕事?というように思っていなかったのです。
やりたいからやる。
それでご飯を食べていく。というような発想になっていませんでした。
これは正直な意見です。


演劇が仕事か?
ご飯が食べれるのか?一生の仕事になるのか?
漠然としたまま高校へ行き、演劇を続けていました。
劇団青い鳥や野田秀樹さんに憧れ、当時としてはフツーの演劇好きでした。
仕事にしたいなあ、とおもったものは、
美術館の学芸員、織物をする人、遺跡発掘調査人など。
それをしながらも演劇は続けていられたと思いますが、
「自分の好きなことを仕事にする」のようなことを焚きつけられるような時代でもあったかな。
「自分探し」などという言葉も使われ始めたころのような気がします。
演劇を続けるのか。
自分の中で悩みつつ、なんとなく長く続けていればなんとかなるような気もしつつ
うすうすこれじゃご飯が食べられないような現実も見えてきていたのですが
言い出した言葉を戻せないような感覚になりながら演劇を続けてしまったのです。
美術館の学芸員は受験し直そうと思ったけれど、時すでに遅し。で、できませんでした。


演劇をやめてみて、自分の周りには実は色々な社会があり、仕事があったと気がつきました。
見えてきたのです。
「知る」ということと「体験する」ということは大きな差があります。
世の中には、看護師やメーカーで働く人たち、公務員といったものから
物を作る人たち、大工や職人や、教師、流通や商人、もう数えきれないほどの仕事があります。
そうしたことが見えてきたのでした。
知っていたけど、見えてきた。私にとっての「体験」でした。


周りに無理だよ〜っと言われた事務系の仕事をインドネシア帰国後から続けています。
やってみなきゃ分からないものです。
人の意見も聞いてみる。意外なものが似合っているよと言われたりもします。
踊りを続けつつ、色々なものを見るようになってくると
やりたいことが次々に出てきました。仕事としてです。
傾向を考えると、ものを作る仕事に興味があります。
織物や伝統工芸といったものつくりは、今でも何かの間違いで(?)飛び込んでしまいそうです。


オトナでさえ、こうなのですから。
たかだか十何年生きてきたひとに、将来の進路を決めろ!一週間で!
というのはムツカシイと思うのです。
でもしっかり者の彼は、こういう仕事がしたいという夢というか希望があります。


踊りを一生の仕事にするかというと
まだわかりません。踊りやお勤めも含めて、まだまだ到達点の過程にいる気がします。
呆れられても仕方ないかもしれませんが、回り道をしているかもしれませんが
着々と進んでいるような気もするのです(ほんとか!)