ヒトノキモチ

今日、頼まれものの直しをこつこつやっていたのですが
自滅しました。
「ひとのきもち」に完敗です。


友人から預かった柔らかいシャツと、カーディガン。
これの直しをしていたのです。
柔らかいシャツは、手触りも着た心地もばつぐんに気持ちのいいものです。
極細のカーキの糸で編まれたニットにきなりのTシャツ生地。
ダブルガーゼのようになっていてほにゃほにゃと軽くてふんわりしていてあたたかい。
空気を含んだ生地で、私も欲しくなったものです。
切りっぱなしの袖や裾はくるんとまるまってこれまたかわいい。
でも、この切りっぱなしがほつれてくる。


ほつれないように、頑丈に縫ってしまってね。
という依頼でしたが
頑丈に縫うにはこのまるまりがなかなか厄介でした。
色々試した結果、ロックミシンをかけて、それから折って縫う結果になりました。


私がこの布をみたら何を考えるだろう?


この切りっぱなしの面白さに
(自分じゃ絶対着ないけど)フリルを使ったり、縫い代を表に出して
肩を縫ってしまいそうです。
肌にあたる側には、縫い代は極力避けて、段々につながるように
それも斜めにランダムに作ってしまいそう。


着る。
という行為に対し、しかも日常に着るものとしては
なかなかお手入れの難しい素材かもしれません。
この素材を考えた人の気持ち。
この素材を作ってシャツを作った人の気持ち。
そして買ってしまった人の気持ち。
直す行為はなかなか辛かったです。
正直言うと、直さないでほつれていってもいいから
この面白さのままで着てほしいし、着せてみたい。
(ここにも自分が着る、ということが入っていません)



土曜日に、ライブに行ってきました。
晴れたら空に豆まいて」というライブハウスです。
種ともこさんとZABADAKを聴いてきたのでした。
どちらも、私が日本脱出前に聴いていたもので
ライブは聴きに行ったこともなく、本人たちを目の前にする、ということも
初めてでした。よく聞いていたころから考えると
20年位たつのかな。日本脱出を試みてから16年たちますし。
そんな時間のねじを巻きなおすかのような気分で聴きに行ったのですが
私に脱出の時間があったように
演奏される方たちにも同じ時間が流れていたことにすぐ気がつきました。
種ともこさんの初期のころの曲が大好きでした。
ZABADAK民族音楽を聞いていた耳に心地よかった。
この音楽が好きだったのに、どうして自分がインドネシアに行ってしまったのか。
ジプシー音楽も好きだったし、ヨーロッパに行ってもよかったのになあ(笑)
ある方の49日でもあったこのライブは
その方にむけてメッセージがあり、感謝や伝えたかったことが
音に、声にのせて伝わってきました。
種ともこさんが演奏する時に、足を踏みならす。
細い指先と、時に地響きのように踏みならす振動が伝わる。
この人の時間には、どんなことがあったんだろう。
初期のころにきらりと光った金属の光は
ナイフのように、剣のようにまっすぐに突き刺さってくる。
その驚きを受け止められる自分もいる。
私にも何かしら戦ったりしてきた時間があって、受け止められるんだなあと。


ひとのきもち。


私たちは、進むしかありません。
時間を戻ることはできない。
気持ちもまた、時間軸で変化していきます。
同じと思っていたことも、共感することも。
今日のお月さまは、もう少しで満月。
日付を超えてから、満ちていきます。
同じようで同じじゃない時間。空の月も留まることなく、動いていく。
ひとのきもちも、私の気持ちも、とどまることなくうごいていきます。