12月8日という日が何の日か。

恥ずかしながら、今日がジョン・レノンの命日であったことを知りました。
今から30年前。
一時とはいえ、同じ時間を生きていたのだなと思いました。
私がビートルズに出会ったのは中学の時。
担任の先生がきっと好きだったのでしょう。
何かの機会に歌をみんなで歌った覚えがあります。
それからまたずっと離れてまた再開したのは高校三年。
当時の友人に貸してもらったカセットでした。


私にとっての12月8日は
第二次世界大戦の始まりです。
学研が出していた日本史の本に真珠湾攻撃の経緯がわりと書かれていたことを覚えています。
ニイタカヤマノボレ」や「トラ・トラ・トラ」を覚えています。
勝利に沸き立つ思いとそれから続く敗戦への道のりを
コドモ心に複雑な思いを持ちながら読んでいました。
使われた戦艦や飛行機の名前、今ちょと調べてみたらさっと思い出しました。
相当衝撃だったのですね、今でもあの学研の読み物、読み直してみたいくらいです。
ある程度の年齢になってハワイに行くことがありました。
あの戦争の始まりの地に行くんだ。
ハワイ旅行に行くたくさんの日本人。
みんな何とも思わないんだろうか。
聞きたいけど、誰にも聞けずにハワイに行ってきてしまいましたが
遊びに行く、という気分を味わえずにいました。
あの戦争の始まりです。いや、その前から色々と出来事は続いていたのだけれど
引き金を引いてしまったのは12月8日なのです。そしてその地は真珠湾


戦争帰りの祖父がいたからかもしれません。
もともとそういうものに過敏なのかもしれません。


インドネシアはこの12月8日以降の日本軍によって占領され
一時期の世代は日本語教育を受け、日本の軍隊訓練を受けています。
幸か不幸か、日本の敗戦後、インドネシアは一部の日本兵とともに
オランダと戦い独立することに成功しました。
インドネシアの歴史、特に独立に関する歴史劇を見ると
日本による占領と、原爆によって敗戦に追い込まれた日本が描かれます。
だからインドネシアは独立できた、と受け取れます。
そんな舞踊劇に参加してみると、複雑な、何と言っていいか言葉にできないような
感覚に襲われました。
私の国は、かつてこの国を占領した国なのだ。
私は占領された側を演じるわけですが(踊っていたのですが)
広島・長崎の原爆を機に
独立に向かう人々の歓喜!という振付に
なじめず、違和感というか、言葉にできないものに襲われながら踊っていました。


私と同世代、または近い年齢や若い人たちにとって
戦争は切り離された遠い時代のような感覚になっていると思うのです。
でも、祖父は戦争から帰ってきています。
自分が知っている人たち、体温や声や姿を知っている人たちが
体験していることなのです。
そして、私の今までの時間の中でも、いろんな形で顔を出してきました。
ヤシの林の中に点在している小さな集落で
海ゆかば」を聞かされる。従軍慰安婦のことで議論を吹っかけられる。
そんな時
私はコドモの時に感じた複雑な思いをまた抱え直すのです。
口を持たない大きな目を開けた顔。
ない口を大きく開いて声にならない声を叫び続けているような
白い、からんと軽いイシ。
そんな複雑な思い。


12月8日はジョン・レノンの命日。
愛と平和をうたった人が凶弾に倒れた日。


と、私も思えるといいんですが。
なかなか難しいなあ。