ダナルハディ 手仕事にふれる

今回もあっという間のインドネシアでした。
でもいつものインドネシアと違うのは、旅行できたこと。


我が町ジョグジャに行かずにジャカルタとソロで美しいものを案内される立場にいました。不思議な感じです。
時に通訳として話すのですが、コーディネートするわけでもないのでとても安心した旅行でした。
そう、旅行だ!
実家に帰るようにジョグジャに行くのですが、あまりに知らない町を歩くことがなかったので新鮮でした。
どちらの町も大枠は理解しているし、来たこともあるので全くわからない訳じゃないけど案内してもらう立場にたつことがなかったからかもしれません。


コトバ環境は、英語、日本語、インドネシア語、中国語。
全部同じ位のレベルに成りたい。色々な言語を操れたら、何処へでも行ける。
英語はだいたい理解出来てた気がするし、もう少しで英語で話せそうでした。
あと少し、あの環境が続いたらいけそう、いや、出来る!


インドネシアは様々な人々がいます。
躍りの先生をはじめ、文化、芸術環境が多いけど、経済活動を通して生き生きとした人々は、時代の先頭を駆け抜けるようにきらきらしています。
美しいバティックを生産しているソロでは、伝えられてきた作品に誇りをもち、大切に守りながら古いものも、新しいものも、作り出しています。
見せていただいたバティックミュージアムは、声をうしなうほどの美しさとアイデアにみちあふれていました。圧倒的な量に何日か通ってじっくり楽しみたい。
ダナルハディというバティック工房です。
工房の奥にはまさに作業をしている人々の手元を見せてもらいました。丁寧な作業はすぐに身につくものではなく、うっとりします。一人で行っていたら、何時間でもみていられる。七種類の天然の蝋を合わせて、作った蝋は繊細な線を描くのに適しているようです。

中国の影響だけではなく、インドの織物からモティーフだけを使ってみたり、オランダに占領されたことで、白雪姫やヘンゼルとグレーテルの物語を伝える絵物語の染め物があったり、
独立国となったインドネシアが、インドネシアという一つのまとまりを求めていく方向になったバティック群。スカルノ大統領による文化政策によって生まれた新たな発想は、個性と伝統技法があわさって斬新でいまみても、古くない。
日本で紹介できたらなぁ。日本の影響もしっかりあって、日本画に出てくるような、芍薬のような淡い色合いの花模様もどきどきします。製作に一年半位かかったそうです。値段のつけられるものでなく、工芸品として、美術品として鑑賞出来る。でも日用品でもある。どんな人がどんな時に使っていたんだろうかと思いをはせるものでもありました。

こうした手作業がバティックだけでなく彫刻や織物など様々なものがあります。
本当にまだまだ知りたいインドネシアです。