月蝕と生まれて終わるもの

> 昨夜は月蝕でした。
> 冬の高い深い空に、月はかけてゆき、
> また
> 元の姿を取り戻す。
> 昔から繰り返されていることですが
> わかっていても
> 驚きとともに見入っていました。
>
>
> インドネシアのジャワでは
> 日蝕の時、子供を鬼のようなものから
> 守るために
> 敷布団の下に隠そうとした田舎の話を
> 聞いたことがあります。
> 月が鬼のようなものに喰われてしまう恐怖感。
> 目の前で消えることのないものが喰われてしまう恐怖感。
> 恐れるのも、当然です。
>
> 満月の夜、オンナコドモが広場に集まって
> 遊んで良いという夜。
> この日に、月蝕が始まったらどうなんだろう?
> 色々想像してみました。
> 昨夜の月蝕、インドネシアでは
> 蝕の最大が21時位だったからです。
> 昔なら集まったであろう時間に月蝕の最大を迎える。
>
> やっぱりみんな驚いて家に閉じ籠ったんじゃないかな。
>
> 自分以外のものの生死から
> 理解すると思うのです。
> 月や太陽といった絶対なくなるなんて思いつかなかったものが
> 死と再生が目の前で行われる。
> 誰かの代わりに
> 何かの代わりに。
>
> 自分が生きている、そしてその先にあるものを捉える、理解する機会だったのかも。
>
> 知識で知っていることを実体験することはなかなかありません。
>
> だから
> 実際に触れるもの、目に出来ること、聞けること、体験できることを
> 直に知りたいと思います。
> 知識というフィルターなしに。
>
> 知ってなんになる⁈
> じゃなくて、知りたい、体験したいが
> 私の一部なんだと。
> 私はどこへ行くんだろう、誰なんだろう
>
> いつもと違うものに出会うと
> こちこちと考えるのです。
> 知識を越えて。
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