なんとなくと筋道をたてること

今日は江古田チームのお稽古でした。

あまり踊り手には男子がいないのですが、このクラスは奇跡的に男子がいます。
男女で踊れる作品というのは、相手の男性がいないとできなかったり
男子の踊り自体をそんなに習ってこなかったこと、普段も踊っていなかったりするので
貴重な踊りを試すことができる実験的なクラスでもあります。
みんな初心者スタートなので、レベルがそろっているというのもラッキーではあるけれど
感の良さはぴかいちなので、男女一緒に覚えて踊っていけるような踊りを
用意したい、踊っている姿をみたいクラスです。
なので意外とムツカシイ踊りを試してみたりしています。


体を使うというのは
どうしてもリズムが発生します
私たちは心臓がリズムを刻んでくれるから動けるのであり
歩くことですら、気がつかない間にリズムに支配されています
異国の音楽は異国のリズムを刻みますが
その理解をする、ということの難しさを感じます
でも理屈として納得すると、するりと体に入ってくる。
西洋のリズム感で慣らされてきた私たちですから、東洋のリズム感に違和感を感じるのは
当たり前のこと。その当たり前から東洋の世界にいらっしゃいとまねくには
自分が過去にぶつかった壁と同じことを通過してもらう可能性がある
メロディとともにすんなり入って来れる人。理屈がある程度必要な人。
こううまくいかないところのリズムを
分数にして分母を細かくしていくことによって出会った結果を見たとき
やっぱり理屈、(構造)も必要なのだなと思いました。
何度も何度も再認識する。


理論のはっきりしたものの方がなじみやすい
理論がわかると、ここは、あそこは、どうなんだろう?という高度な質問が出たり。
理屈、構造を考えてみると納得できて安心して踊れるという方法もあるなあと。
いろんな踊りがありますが、訳が分からなくても何となく踊ってきてしまって
後から質問されてはっと気がつくパターンの多い私です
ピアノを習っていた時も
ここは強く
ここは弱く
と書かれていた通りに弾いていて、それがほんとはどんなことをいいたかったか
それに気がついたのは、ピアノを始めて7年目。
人の演奏を聴いていて初めて理解して、そこで止めてしまったのですが
(恥ずかしかったんです、それまで音楽ってなんだかわからないまま鳴らしていただけだったから)
教えるという作業を通して再認識を繰り返しています。
理論、理屈、構造というものは
あるものをひもとくときに必要な鍵になる。
違う文化のものですから、もしかしたら間違って読み解いていることもあるかと思いますが
違うなりに出会ってることもある。(できれば遠回りしていたということにしたい)
理論、構造を考えずに踊ってきたので間違いを繰り返す私
筋道に出会えば、間違いを繰り返すことのない江古田チームのみんな。
どっちが教えられているのかって、私が教えられています(笑)


たかが4分。されど4分。
スマトラ島のランタックという踊りは
短いながらも様々な動きがちりばめられている作品で
動きの種類といったら倍の8分くらいの作品と同じくらいの感じです。
振り移しが終わった段階で、踊りの方がすっきりと美しいのは嬉しいこと。
体になじませるまで練習したら、お客様の前で踊っている姿を見てみたいなあと思います。


そういう自分もちょと古い踊りを引っ張りだしてみた方がいいような。
10年以上前のものって引っ張りだすにはかなり大変なのですが
上大岡や江古田チームのみんなをみていると
踊りなれたものばかり踊っているのもなんだかなという気持ちになってきます。
当時なんとなく覚えたもの。
引っ張りだすときには何となくだともう、覚えるのが難しい
筋道をたてて思い出していこう、理解し直そう。