またまたの、また

わずかですが、日本に戻っていました。
慌ただしい日程でしたが、ちょと頑張って金沢の21世紀美術館に行ってきました。
何度行っても子供達が沢山いて、賑わう好きなところです。展示されているものも、何度見てもわくわくします。
何度読み直しても発見のある本のように。
ここはタレルの部屋かな。
好きな割に、名前をなかなか覚えません。
雨の日も、雪の日もありました。
寒い日も、うららかな日もありました。
夏の終わりの最後の暑さ。
36度まで上がったこの日、石に囲まれたこの部屋は
高い秋の空を切り取って、暖められた冬の暖炉のように気持ちの良い暖かさでした。
うとうとするもよし。
本を読むもよし。
空をほーっと見つめるもよし。


どなたかの本で、風景を切り取ることによって景色が見えてくる、窓を通して外の風景の美しさを認識する


ような文章があったと思い出しました。
気がつかなかったことを誰かが切り取ってくれることで
ものごとを再認識する。


踊りのお稽古の時、何度も何度も体験したことです。
何かおかしい、不安定なことという負のものがあれば、
たいてい自分で曖昧にして逃げてしまっていたものでした。
それをいかに解決するか、そして自分が納得出来る解決を見つけ、納得してもらえるか。
教える、というのは
確かに少しヒトより知っていることを伝える要素もありますが
伝えると同時に、相手の疑問にも答えられる、一緒にその疑問を解決していくことかなと思います。
そのことを長きに渡って体験させてもらえたことはほんとに自分の宝物です。
一つのことがらでも、何度も聞きたくなることもあるし、見方を変えたら違う問いも出てくるでしょう。
どうしてその問いかけがあるのか。
その問いかけを今、してきたのか。
を考えさせてもらえたこと。


常識
というものは、人それぞれに違っていて
まず相手に、それは共通認識ではないですよと伝える難しさがあります。
海外位離れると、最初から違うと感じるから、相手の状況にあわせていこうと思います。相手の常識ではなく。
何度も何度も話していって、お互いの共通認識が出来てきて、お互いの常識になるまで。
それが出来るように。


お金があって、仕事があってという立場でインドネシアにまたまた行く途中なのですが、かの地は
階級があり、貧富の差がはっきりしているところです。
分かり合えるとは思わないけど、自分が出来る最大の努力はしたいと思います。現地の人達と一緒に働くのですから。一緒に働く仲間、でありたい。
そこにたどり着くのは時間もかかるし、何度も話して納得して、一緒に働いて良かったとお互いを褒め称える関係になるように。
ぶつかることもあるでしょう、でもそれが出来るのは意図があってのこと。
そこまでくみ取ってあげることが出来たら
踊りのお稽古で皆さんから教えてもらったことを生かせるとおもうのです。


話しが変わりますが。
小さな希望を持って、今の職場に移ったのです。
貧富の差がある、ということは
教育にも影響があるということです。
ジョグジャカルタに居た時、お金が無くて教科書が買えないとお金をねだられたことが何度もありました。
中学卒業してもお金の余裕がなくて高校に行けなかったあの子達は、お手伝いさんや何かで、村を出て行ったり、早々に結婚したり。

大変かもしれないけど、
貧しい若い女の子達に仕事のチャンスを作ってあげられるかもしれないとおもうのです。たくさんのお給料は払えないけど、そのお金でもしかしたら、その子の妹や弟達が少し勉強する機会を得られるかもしれない。

仕事の経験が無いばかりに、職につけない。そんな女の子達の初めの一歩になれたらいいなと。
出来たら、日本語も教えてあげたい。
私がインドネシア語が出来るようになったのは、村の女の子達が私の辞書を開いて笑いながら読んでくれたり、間違いを直してくれたりした結果でもあります。相手は違うけど、恩返しもしたい。そしてそれを通してまた、インドネシア語と日本語に出会いたいなと。


書いてみたら、ちっとも小さな希望ではなく、野望の域、でした(笑)


窓の外は、タレルの部屋から眺めた空です。違うのは白い雲が眼下にあること。非日常の空間で、ゆっくりやりたいことを考えるのっていいなぁ。
地上に降りると仕事が待ち構えていて、こちらの更新をするココロの余裕があまりないのです。余裕も作ろう、うん。踊りも習いにいこう、少なくとも、先生に会いに行こう。


今度の日本は、秋も深まってきた頃にちょと戻る予定です。ほんとにちょとだけになりそうだけど。


行ってきます。