二つのバンドン。アジアからヨーロッパの風景

今日はやっとのお休みで、久しぶりに散歩に行くことができました。
ほんとは昨日の土曜日に行きたかったフェスティバルのようなものがあったのですが
昨日は一日倒れていて(笑)
こんこんと眠り続けていたのです。
もったいない、面白い行事があったのに…
目が覚めて、ご飯を食べてまた寝て…


今日はさすがに体調も落ち着いてきたので
その行事があったGedung Sateと呼ばれる、西ジャワ州庁舎に行ってきました。
てくてく歩いて1時間かからなかったかな。


あわよくば行事に間に合うかもと思っていたのですが
午前中に終了。腹痛で部屋を出ることができなかったので
仕方がなかったのですが、それでもちょとくらいいいかなと思って
思い切って中に入ってみたのです。


オランダがインドネシアを統治という名前で占領していた頃に
建てられた(1920年)この建物は、ヨーロッパにきたのかと思うくらい
美しい建物でした。洋館という言葉がぴったりします。


何となく入ってみて、途方に暮れていた時に
(もちろん見たかった行事は残骸のみになっていたし)
警備の方に、「ミュージアムは見たか?」と声をかけられたのです。
「見てもいいの?」という私の問いに
「案内してあげよう」という返事。
その話、のった!


警備のおじさんと一緒にミュージアムのある4階まで上がり
スンダの守り刀、「kujang」について説明を受けたり
(面白かったので、いつか調べようと思います。デザインが美しい!)
貴賓室に連れて行ってもらったり。
バンドンの町が広く見渡せるし、戦争で亡くなった方を悼むモニュメントが見えたり。
当時の建物をほぼ生かして、そこに電気を引いたりなんだりしているのでしょう。
エレベーターも入っているけど
当時のままの階段を通らせてもらいました。
地震にも耐えられるよう、しっかりした柱に大理石の床。
横に長く、でも中庭のように舞踏会ができそうな広場が中央から二つ広がっていました。
中央には回廊に上がる階段がある。
緋の絨毯が似合うシンプルだけど重厚感のある階段もまた大理石。
その広場の上を囲む回廊の写真です。警備の方は、雨の日には
この回廊を走って体を鍛えるそうです。


そこには私の好きなインドネシアではなく、ヨーロッパの顔がありました。
私の好きなインドネシアも、ヨーロッパの影響をうけている。
衣装にその名残を感じ、でも土着文化も息づいている。
統治⇒占領が長く続くってどんな感じなのだろうか?
文明を武器に侵略してきたのか、それとも結果として統治になったのか。
世界史を学んでこなかったため、この辺の事情に疎いのですが
やはりもう一度調べてみなきゃダメかなと思いました。


仕事が始まると
話しすぎて口の周りがだるくなるくらい、話し続けることもあります。
通訳ってあらためて大変だなあと思います。
二重人格のようにインドネシア語と日本語を使っていると
(つまりそんなレベルでしか、通訳できないのですが)
頭の中がぐちゃぐちゃになるし、疲労困憊になりますが
たまにこういう美しいもの、目の保養になるもの
ガムランの音色で一息つくことができます。
これからまた大変な一週間が始まりますが
ちょと乗り切れそうな気がします。