Cirebon と働くおじさん









昨日は朝からCirebon へ行ってきました。
TransJakarta を乗り継いで、Gambir 駅まで。Monasでの乗り継ぎが悪くて歩いちゃおうかなと考えていたら、Gambir を経由するTransJakarta がやってきて、計画通りに移動が出来ました。Gambir 駅は空港までのリムジンバスもあるので、使い慣れておきたいルートです。


Cirebon までは3時間ほど。
何だかチケットが高めだなぁ、バンドン行の倍額⁈ 腑に落ちないまま汽車に乗り込みましたが、金、土、日は観光のためか、通常の倍額になるそうです。


田んぼ風景を経て着いたチレボン(と読みます )はジョグジャカルタやソロより田舎の町並みでした。
王宮があるような感じがしない。
駅で声をかけてきたミニバスのおじさんをチャーター(笑)して、王宮とバティックのお店を回りました。
王宮は閑散としていて、博物館もギャラリーもほろりと朽ちていました。
ポルトガルからの鎖帷子、エジプトからの螺鈿細工の飾り箱。戦いを表す鉾や剣先。なぜか足を留めずに歩きたくなるような荒廃のすすんだ展示。
よく事情を確かめずに訪れた私も悪いのですが、修復工事中であること、あちこちで寄付金を要求されることが、何というか、こちらもまいってしまいました。
日本のお寺の修復工事のための寄付金だと、記録も残っていいなぁと思うのですが…
緑に飲み込まれながら、朽ちていくような。ジョグジャカルタやソロの王宮にはまだ王様が住んでいらっしゃるからか、人の気配があって穏やかな佇まいと感じるのです。修復工事が終わったらまた来てみようと思います。1月には何か行事があるようなお話しでしたし。今度はもっと好い雰囲気になってることを期待して。
レンガ積みに漆喰の壁には中国からのお皿やタイルがはめ込まれていて、ひとつひとつみていくと、当時を髣髴とさせる柄に出会えて面白いです。


働くおじさん。
人々の意識が変わってきたように思います。
私が初めてジョグジャカルタに入った頃、高学歴を目指す人が少なかったのです。田舎だったからかもしれない。中学卒業したらそれで良し、女の子は早く嫁に出すかお手伝いさんに出すか。男の子はよその町へ出稼ぎか。


今日のミニバスのおじさんも、ジャカルタで会った運転手さんも、懸命に働き、努力することを誇りにしている話を私にしていました。そしてその成果を子どもに注ぐ。
今、親として努力して、子どもに教育を受けるチャンスを与えたい。それが親としての誇りであり、教育によって子どもの将来が好いものになる。
どれだけ働いているか、どれだけ努力したか聞いて欲しいように語り続けるおじさん。子ども達の世代に、インドネシアが日本のような先進国の仲間入りするだろうか。それは子ども達の教育にかかっている。
努力する親の背中を見たら、子どもも良い子に育ってくれた。
…………
高度成長期の日本のような話です。
彼らはニホンの背中が見えてきたのではないか。
努力しても追いつこうなんて出来ない夢物語が、次世代なら追いつくかもしれない。大きな意識の転換点なのか。
今日のおじさんは、インドネシア発祥の通信会社の名前を挙げ、インドネシアの成長を強調していました。
その話と、今日見た王宮が、この世界では並列されている。並列される世界、視界が今と未来と過去と混沌と入り混じって私の前に広がります。


うかうかしていられない。
追われる側として、走らなきゃ。


若い世代の多いインドネシアと年齢の高い世代の日本と。
あと10年が勝負かなと思いました。
自分の年齢も含めてですが、この10年がインドネシアの飛躍を見守ることの出来る10年。世界はどうなっていくのだろう。この近未来を予想することは難しいでしょう、私はインドネシアが飛躍していくと思いますし、この目で見てみたい。


はたらくおじさんと、宗教に伴うテロ未遂事件で話が出ました。宗教の名を借りた、人間のエゴを押しつけるテロには反対。宗教とはどんな宗教であれ、平和を協調を貴ぶというおじさんの意見に賛同します。


何だか聞き手に回ることが多いのですが、色々と考えを深める内容に出会える。役得かもしれません。