Acehの踊りと今の事情

私はまだこの地を訪れたことはないのですが
日曜日に時々見に行く劇場でたまたまAcehの踊りをみることができました。

インド洋大地震のことを覚えているというのは、
まだ足を踏み入れたことのない地での大惨事であり
多少の犠牲を防げたかも知れない事件だったからかもしれません。
また座って踊りを踊る、しかも揃いも揃ってなんぼという芸能が
生きているという不思議からかもしれません。
楽器をつかわずともこんなにも表現が可能で美しいものがあった
一体感のある秩序ある美しさに心奪われたからかもしれません。

それにしては本場で
見たことのない踊りであったこと、唄を歌いながら踊ることに
まず歌詞が覚えられず、大学でメンバーに入れなかったことで
踊りこなせなかった、(一人じゃ踊ることができませんし)
よくわからないままの踊りでもありました。

Acehからきた踊り子たちの鋭く揃った表現に心から楽しめたのですが
あの地震の際、地震で犠牲になった踊り子やドキュメント(資料)があった
という話は、天災によって一つの文明や文化が消えていったことが
過去にはあったという実感がありました。
そして他所者のおかげで色々な地域に知られることになったこと
それが本来と変わっていったこと。
それを受け入れ、でも違いを伝える必要が出てきたこと。

元々男性のみで踊られていたものなのですが
昨今女性の踊り手が増えてきたことや男性の踊り手が
減ったこともあり、ジャカルタで紹介されているのは
男女や女性のみ、の形態が増えています。
ジャカルタの中学生や小学生の授業中にも
取り上げられているようです。ジャカルタ芸術大学
この踊りを取り上げたこともあり、tari Samanという言葉は
私などでも知る言葉です。
Acehではsamanという言葉は踊るという意味であると
話を聞いて驚きました。
Acehには独自の言葉があり、かなりインドネシア語
異なるので、言葉の掛け違いにより
tari Samanという紹介の仕方になったのかなと思います。

時代に寄り添うように今も変化していく伝統芸能なのかなと。
インドネシア伝統芸能は割と時代に寄り添うものが多く
その分、様々なバリエーションが生まれて楽しくなるのですが
文化の担い手が女性に向けられてきていると考えるのも面白い。
全体を取り仕切る歌い手は男性ですが、踊り手は女性。
今はまだこの形だけど、いつか全て女性が取り持つようになるのかな。
そうなるまでに、どれだけの年月がかかるのか。

これはAcehだけの問題ではないように思います。
楽隊も影絵芝居のWayang Kulitもいつか女性チームができるのかしら。
男性の領域に進出するのはいわゆる普通の仕事だけではなく
伝統芸能にも広がってきているのかなと色々考えた次第です。

芸能では食べていけない。
というより、芸能もまた一つの仕事となってきたこと。
生活の一部であったものが、生活から切り離され、消費されるように
なってきたこと、そのためにプロフェッショナルとして洗練されたものを
要求されるようになってきたのかなと。

私はどちらも好きです。
芸能が生活に息づいているからこそ、感じる固有の面白さも
洗練され、美しさや面白さを追求し、時代に寄り添うものも。
どちらも人が生み出す多様性に心が踊ります。