新しいことに取り組むひとたち

新しいこと、大きな流れを生み出そうとしているひとたちに共通するのは
体力のような気がします。
情熱という言葉に置き換えても良いかと思いますが、
思わず手を差し伸べたくなるような
温度と距離がそこにある。
体温より少し高めで手を伸ばせば届くところに自分の足で立っている。
知識、経験の交換をしながら、お互いを尊敬し、尊重しながら
新しいものが生まれる土壌を垣間見ることが出来たのは幸せなことでした。
無理してでも行ってみた甲斐がありました。

ある日、私達の手に目に飛び込んでくる技術、日常に取り込まれる最新技術は
こういうひとたちから生み出されてくるのだなと。
互いに切磋琢磨していく、作り出したものをみてもらう姿は
技術者と芸術家の差なんてないのだなと思ったのです。

中世の芸術家、錬金術師を見ているようでした。

ほんの少しだけ、グーグルグラスを試すことができたのですが
これを魔法と言わずしてなんというか。
この魔法(敢えて魔法といいますが)はまだ、どのようにこの先私達の生活に
取り込まれていくかわかりません。魔法のまま、一部のひとの手で所有されるのみ
かもしれません。様々な可能性を共有しながらこの魔法が実用化され、
私達の生活の一部になるのかもしれません。


私が目にしたひとたちには、国境もなく、一つの言語で成り立っていました。
ものを作る、生みだす言語です。
趣味を越えて、製品化を目標にすえて、ありとあらゆる興味が形となって
表現されていて、考えを交換したいひとたちが集まる。

私も何か作りたくなります。

何ができるだろう?

小さな手仕事しかできない私です。
こんなものをあのひとが使ってくれたらいいなあ、
喜んでくれたらいいなと、使ってくれるひとの顔が見えるようなものなのですが
つくることから離れてしまった今
がつんと頭を殴られたような時間でした。
何かつくろう。
私ができることを、かたちにしてみよう。
かたちになったものがどなたかに喜んでもらったらちょと嬉しい。


時間も生活も今、目一杯で
よく倒れずに働いているのですが、
こうした新しい何かに触れることで、新鮮な空気をとりこんだように
生きていくことができる。
なんとかして何かつくろう。それで一日きっとわくわくした時間になるから。