自分のことば

私は日本人で日本語を話します。
仕事ではインドネシア語も使います。
これは私のツール、道具であって、自分の本当に伝えたいことは
なんなのだろう、というところにひっかかっています。

ひとに伝えたいこと。
それは音声でなくて、踊りでもありました。
何かを作ることでもありました。
今更そんなことに考えをめぐらせなくても
ごはんを食べていかなきゃいけないし、
と思うのですが、
全力で伝えたいことを持っている人達に出会うと
やはり心がゆらぎます。

自分が人様にとって大したことではないと思っていたことが
誰かの目には面白くうつること
興味を持ってくれること
それが思いつきではなく、思いがけず実現の方向にいきそうな時
足元が震えます。

そんなの無理だよ、だから自分のできる範囲で
なんとかしてみる。

の、繰り返しではなく
差し伸べてくれた手を握り返してみる。

そこで交わされるもの
作品やものが、私の言葉なのだと思います。

久しぶりに
踊りの作品のイメージが頭から離れませんでした。断片的に浮かぶ映像に
うなされるようでした。
新しいテクノロジーを使って伝えたいことは
思いついたことが嬉しいだけかもしれません。

小さな庭で行われる小さな世界なのでしょうが
ひょと本気でみてもらいたいなあ、と
思う時がまた、来るのかなと思います。