ミラノをてくてく歩いていく

石造りの建物には、過去の時間が刻まれているのに
中身は現在を生きる技術に囲まれてる。
作られたのが18世紀、19世紀のものが今尚使われていて、その中には
空調や電気や、生活に欠かせない製品が入っているのがわくわくする。
古いものと折り合いをつけながらの生活。

通りから見える美しい中庭は、ネパールの市場近くで見た、小路の先の
中庭と同じように見えました。
外壁代わりの建物に守られるように、切り取られた青空と足元の庭。
違うのは、石造りとレンガ造り、彼の地は地震で崩れてしまった。
小道から中庭を覗きこみながら歩いたカトマンズの街を思いました。
カトマンズは土ぼこりとお供えに使う、マリーゴールドの匂い。
ミラノは透明な空と、紫陽花の花が中庭にあった。

生活に欠かせない祈りの場。
豪華で神を讃えるために美しく描かれた天井画。
見飽きない、一つ一つの物語に引き込まれてしまいます。
遠い誰かの手のものと今の時間を生きる私の逢瀬は、一瞬です。
たくさんの一瞬の逢瀬が重なり合う教会は、美術品ではなく
生活の調度品のように、少しづつ壊れ、治され、放置されているように思います。
夕方に鳴り響く金の音に耳を傾けながら、夕暮れの闇に埋もれていく壁画は
ほんとに美しかった。テンペラ画かな。色あせ、剥がれてもなお、
聖人達が空を仰ぐ。教会内の天井画に窓から夕日が写り込んで
天使の顔をほんのり明るく照らす。
懺悔室の前で囁くひと、夕暮れの祈りを捧げるひと、モザイク画の青は
ラピスラズリだろうか。闇に沈んでいく青は深い深い青。
石畳の床は組み合わせた石の硬さの違いでほんの少しだけ波立っていて
どれだけの人がここを歩いて行ったのだろう。
賛美歌は聞き覚えがあるように耳に馴染みます。
ろうそくの匂い、香の匂い。
外の陽気なからりとした空気から、中に入るとしんと静かなひんやりした時間になる。

教会は、わざわざ見に行った教会より、鐘の音に惹かれて入り込んだところや
小さな入り口を見つけて迷い込んだところが心に残りました。
どれだけの年月をかけて完成され、人々が集ってきたのか。
教会の隅で立ちつくしながら、全身のアンテナを広げていたのだろうと思います。