サイゴンへ

年末年始にベトナムのHo Chi Minh、またはサイゴンに行ってきました
整った表通りはヨーロッパを思い起こす街並み。
フランス統治下におかれていた街。地図を見てもわかりやすく、街角は角として機能しています。
覚えやすい風景というか、きちんと角になってわかりやすい道。地図なしでてくてく歩いていても方角がおかしくならない。ジャカルタはぐるぐる回ってしまい方角がおかしくなることがあるけど、この辺がオランダとフランスに統治された違いかなと思う散歩です。
街路樹が多くて、歩道が歩きやすくて、LEDの灯りでどこもかしこもきらきらと光輝く街は安心感があります。中心地にいるからですが、ヨーロッパ調の建物は威風堂々とした佇まいで、私はどこか懐かしく感じます。子供の頃に見ていた名曲アルバムに出てきたヨーロッパの街並みの中に自分が入り込んだような。
でも歩いている人達はアジアの顔なのです。私も、住んでいる人も。
歩きやすい歩道には背の高い街路樹が空に向かって伸びていて、ジャングルが似合うようなpohon bringing、またはガジュマルみたいなジャカルタと雰囲気が違います。

明るいってみんなが望むことなのでしょう。
太陽を手元に置く。明るいことが正義のように街中に巡らされた新年のイルミネーションでした。
新年じゃなくても、手軽に明るく楽しい明かりを作ることが出来るLEDは街角に、大通りにお似合いです。

大事なもの
海外に出てきて、大事なものをまずその土地に作っていく。
住まいの後に作るものが、役所や教会というところに色々と考えることがあります。
役所は小さな政府でしょう。統治するには必要な拠点です。教会は祈りの場所。大きな教会を見るとそれだけではない気がします。統治される前の土地にあった地元の信仰を変えるような大きな力、または圧力というか言葉にならないのですが、布教という言葉を思います。布教することで元々の土地を威光、新しい何かで圧倒するような。

サイゴン大聖堂は、フランスから材料を運んできたというお話を伺いました。
丸天井の梁は内側に崩れないような構造になっているとのこと。天井画のない、シンプルな姿も好きです。おかげで違う視点を持つことができる。丸い曲線は木の梁かな、実用性のものが美しい模様のように天井を飾っていました。
写真ではきれいに撮れないけれど、ステンドガラスになっている宗教画が、ちょとモダンな表情をしているのも面白く見ていました。比較的新しい建物だからか、作った人が当時のファッションに惹かれていたのかなと妄想は膨らみます。
サイゴン川沿いに広がるHo Chi Minh。統治(開発者)が乗り込んで開拓して教会や役所を作り、フランスのように住み良くしようとする人達と、なんだか今までの生活が変わってしまうのではないか考えながら迎えた人達と。私は外からインドネシアに乗り込んできた人間なので、いつもそこのギャップというかなんというかを考えてしまいます。新しいものならば、興味があるのならば、人は進んで新しいものに飛び込んでいくんだろうと思うのですが、そうではない人もあったはずなので、どのように折り合いをつけてきたのだろう、自分が乗り込んでいった場合、連れて行かれた場合、受け入れる場合、排除されるまたは迫害?される場合など、その土地で、その場で考えたり歩いたりしながら、旅をしている気がします。異邦人の自分と異邦人を受け入れる自分との関係を。

写真は後ほどアップします。