ジャカルタのテロのこと

書かず仕舞いになりそうだったので、残しておきます。

今年の1月にジャカルタでテロがありました。

仕事場で、ローカルの同僚にPathの写真を見せられてテロがあったことを知らされました。
場所はお客様を連れて行ったこともある、そして毎週走る時にUターンする交差点でした。
倒れている人、そして銃を持つ人、いつか起こる、そのいつかの瞬間でした。

安否確認と上司への報告と、国外へ駐在員の方を出国させる方法を考えながら、何がデマで何が安全で、という時にソーシャルメディアが役にたちました。多くのデマで大使館でさえ翻弄されましたが、証拠写真がなかったのです。写真好きのインドネシア人です。身の危険を顧みず、現場写真がソーシャルメディアに登場し、デマが騒がれた現場候補はなんともないという報告がまたあがってくる。リアルタイムで情報があがってくるため、判断の基準になりました。2時間くらいの間てんてこ舞いでしたが、仕事場の空気がすうっと落ち着いた時に、もう大丈夫かなと思ったのです。

起こると予想しなかった駐在員の方に、テロはいつかどこかであると思って生活してますよという話をして怒られたことをよく覚えています。そのいつかはここジャカルタだけではなく、自分がよその国にいる時でも。
テロのあった午後、おそらくしばらく安全かと私は思いますと伝えた時に、また怒られたのですが、自分の感覚を私は信用して行動します。怖ろしいことが起こったとしても、私は生きてますし、行動しますし、その判断はその時々でどんどん変わる。こういう時はなるようになるしかない。守らないと行けない人達は、付き添って空港まで送り届けて、こちらに残るつもりでした。今回はそこまでならなかったけど、どこかでいつかはあるのです、残念なことですが。海外で暮らしている限り、いや日本にいたとしても、何か怖ろしいことは起こる。知らなかったではなく、心の何処かで構えていて、それでも日々無事に過ごせたことに感謝しながら。

追記
実際テロの現場に居合わせたら。
バングラデシュのテロニュースを見て、その時はもうどうしようもないのだなと思いました。神のみぞ知るなのか、時の運なのか。
いつも心の何処かで構えている、それだけは変わらない。
この件はまたよく考えます。海外で生活する限り、ついて回ることなので。