後進国と呼ばれるところに住んでいます

どうしてこんな題をつけたかというと、最近20年ほど前と同じお願いをされたことがあったことを思い出したからです。

ジョグジャカルタに踊りの勉強をするために住み始めて間もなく、近所のお母さんから、学費を工面してくれないかとお願いされたのです。私の住んでいたジョグジャカルタの田舎は、田園風景の広がる、南の島の田舎!という感じのところでした。たどたどしいインドネシア語の理解によると、小学校に上がる子供の教科書が買えない。学校に通えないので教科書代を出してくれないか、ということでした。
お金を貸すということは、返ってこないという覚悟も必要な土地です。農家なので食べる食料はあるけれど、ものを買うことができない、という貧しさでした。
洗濯されてアイロンがきちんとかかったTシャツを着て、身なりも質素ながらしっかりしていました。その時に幾ら貸したか覚えていませんが、何百円だと思います。当時の私の生活費は一か月1万円(月々のビザ費用、日本への電話代含む)。周りからするとお金持ちに見えたかと思います。同じ寮に住んでいる友人は2000円いくかいかないくらい。日本でアルバイトしてお金を貯め、親にも援助してもらってのジョグジャカルタ滞在でした。後進国に向かったのは、生活費がかからないというのも理由にありました。貸したお金は返ってこなくて、でもそれはそれで満足しています。私はその後もその村に住み続け、近所の子供たちは学校へ行き、また、学校にいけない子供たちは、子守をしたり親の手伝いをしたり。午後、子供たちは私にインドネシア語を教えてくれたり、日曜日に一緒に踊ったり、私が作品を作っている最中見学したり、一緒に踊ったり。先進国と呼ばれる国から来た私は村の一員のように受け入れられていました。そのことを今も感謝しています。

今の私は、ジャカルタという大都市で仕事をしています。土曜日、無料のインドネシア舞踊のクラスのボランティアで踊りを教えています。踊りに来る子供たちは、比較的中間から下層の子供たちが多いように思います。
あるお母さんから、家賃が払えなくて借家を追い出されそうになっているので、お金を貸してほしいとお願いされました。5万円くらいです。(ジャカルタ最低賃金1か月が3万円くらい)ひるむ金額でしたが、あの子が踊りに来なくなるのは寂しいなという気持ちもあり、貸すことにしました。(インドネシアでは1年間、または半年分の家賃を一括で前払いする習慣です)返済されましたが全額ではありません、子供の教科書を買うので、残りは待ってほしいということでした。
今でも教科書を買うのに苦労する家がある。日本でも貧困家庭がニュースなどで取り上げられるようになりましたが、改めて考えてしまいました。インドネシアは非常に国土が広く、比較的インフラがそろっていると思われるジャワ島でも、馬による移動図書館(100冊ほどだそうです)が喜ばれているニュースが最近取り上げられています。ここは教育格差、またはインフラ格差が激しいところで、スマートフォンがいたるところで販売されるようになっても、都市部、富裕層と地方の格差はさらに広まっているかなと思います。

インターナショナルスクールに通う子供たちは学費だけでジャカルタ最低賃金1年分を軽く超え、先進国と呼ばれる国とほぼ同じ生活ができています。踊りを通して見えてくる子供の世界に色々考えることがありますが、双方を見続けることができたらと思います。もどかしい思いをすることもあるけど、自分の楽しいことを共有できる子供たちの傍に立つこと。そしてその楽しいことが将来ご飯を食べていくことにつながらなくてもいいこともいつか伝えたいと思います。芸能で報酬が出るのは最近のこと。芸能は生活の一部でいいかと思います。生活の一部だからこそ、次の世代へ伝わっていく。
無料のクラスの親御さんたちは、踊りがうまくなれば、外国へ行くことができると思っている方が多いのです。公演の機会はあるかもしれませんが、それで生活できるとは思わない。私は偶然、インドネシア舞踊を習ったおかげでインドネシア語を習得することができ、それで仕事を得ることができました。私を教育してくれた、先生や村の子供たち、お母さんたちのおかげです。
うまくまとまらないけど、生活の余裕部分に時間の遊び、または空間の遊びがあり、そこに芸能が入っていて、好奇心の余裕がさらにあれば、美しいもの、わくわくするもの、何だかわからないけど思わず引っ張られるようなもの、受け入れてしまった何か(私はこれがインドネシア舞踊かと思います)に子供たちが出会えるようになったらいいなと思います。好奇心に見合う何かに出会うには、教育を通して新しい何かに出会うこと。どうやったらよいだろう?どうしたらいいか今の私にはわかりませんが、後進国と呼ばれる国に住んでいる私は、時々このことに考え込んでいます。