地域差、世代間、いろんなことの違うということ

海外に住んでいると、最初から外国人なので違って当然というお互いの認識があるのですが
同じ日本国内だと、地域差や世代間(親の地域、世代も含む→育てられた環境)が違うことを
あまり認識していない人もいるのだなと思います。
違うから拒否というより、違うことを認識するだけで否定とか距離を置くとかではなく
違和感を楽しむ、なぜ違和感があるのか考えてみるということをしています。


職場で聞く方言。
職場でこんなに方言って使うんだと思いましたが、私が外から来た異邦人なので
私が標準語的な言語を使っているけれど少数であり、私のほうがその土地の人から
みたらよその言葉を使っている。ならば対処の仕方もある。
前後を聞けば話の流れはわかるけど、部分部分、すっきりしない理解の言葉があり
それを聞くこともでない時は、(会話が完了)インターネットで検索、納得でもいい。


夕食を招待され、ちらし寿司をごちそうになりました。
美味しかった!けど具が慣れ親しんだものではなく、地域で違うんだなあという思いを
心の中にしまいながらいただきました。
自分の体験した地域と違う!ということを言うと否定しているようにとられる経験が
増えてきているからです。
最初からお互い違うもんね、で始まると違いの中から共通点を探したり
違うことから生まれる好奇心などで話が盛り上がったりするのですが
同じ国の人同士だと難しいという印象です。
同調していないことが拒否ではなく同調しないことでお互いの理解を深めていくことが
できると思うけど。


海外生活をしてきてよかったなと思うことは、同調しないけれどお互い敬意をもって
接してもらったこと。多民族の多宗教の国であるインドネシアは時に互いの差異のために
緊張があり、衝突もあったことがありますが、(この先様々な可能性もはらんでいますが)
お互いの宗教観、民族観、地域観を尊重しながら生活をしています。
暗に、キリスト教徒(華僑)とイスラム教徒の緊張が顕在化した時
「異教徒!」と知らない子供達に声をかけられることがありましたが
「異教徒」である私は異教徒として違いを理解した上で、その地域に通い続けました。
通う「異教徒」をその地域の人達はどんな思いで私を見ていたかわかりませんが
立ち話や挨拶を交わす関係でした。



違うことが敵対心にならないといいなと思います。