追いかけられるように。

新しい職場で、新しいことを次々に投入されて
吸収しているんだか戸惑ってるんだかであっという間の一週間でした。


同じように、初めて文章を書く仕事を受けて
それをこなすのにやっぱり必死な一週間でした。(締切過ぎて提出してしまったし)
共通するのはどちらも新しいこと。
納得のいくこと、というのは目の前で形としてわかること。
何かを作るというのは、目の前に形を形成していくのでわりとわかりやすい。
もっといい方法は、数をこなさないとできないけれど
よりよい方法は、人にマニュアル、という形で提示できる。
人に何かを伝えるには、良い方法です。


マニュアルを見てできることと、その本質を自動的に理解することは全く違っていて
私たちは、車の運転はできるけれど、車というものがどういうものだか知らない。
こうしてコンピューターを使って仕事をしたりしますが
コンピューターというものが、どんなものだか本質を知らない。
本質を知らなくても使いこなせる方法を伝えられるものが、マニュアルといわれるものです。


マニュアルだけですむこと。
本質を知らなければできないこと。


文章を書く仕事は、大学受験の小論文が役に立ちました。
何をいまさら、ですが、限られた文字数で伝えたいことを押しこむ。
何度も書き直しているうちに、似たような作業をしていたなと思い出しました。
愛のある文章では、到底太刀打ちできません。
教科書は、ある意味マニュアルみたいなものですが、あれも文字数との戦いの結果
似たような文章になるんだなと思いました。
今回の仕事は、まさにこの教科書的なものなので、愛のない文章になっています。
愛のある、マニュアル(偏愛ですが)を作りたいと思いました。


踊りってどうだろう?
教えるという作業をしています。
ビデオを作って渡したり、ということをしていますが
踊りの本質を伝えることはできません。知る、ということに関して手を貸すことができるけど
わかる、ということは本人にしか見つけられないと思います。
そういう自分が、少なくとも教えている踊りについてわかっているかというと
それもまた、難しいのです。
数値化できない。このデータとこのデータを持ってきて、計算して…ということはできない。
マニュアル通りに体を動かして、楽しいということもいいでしょう。
でも、なんだかな。


わくわくしながら踊る生徒さん達を見る。
なんて楽しそうなんだろう。
そこに、インドネシアの伝統だの、なんだのの理由づけなんかいらないんじゃないか。


伝える、ということ。
伝わる、ということ。


伝わったものをアウトプットしていくこと。
アウトプットされたものを、改めてみてみること。


ごちゃごちゃ考えています。
明日は早起きしなきゃ。
考えてる時間も必要だけど、休息も必要です。
休みごとに、知恵熱を出している場合ではありません(笑)
今週末は、くんくんしーらやの定例ライブ。
こっちの準備も始めなきゃ。
日曜日は久しぶりの真面目な通訳もあるし。
正直いうと


「ぎゃふん」

なんですが、四の五の言わずに、まずはおとなしく寝ます。