科学技術館を回る。上海雑技団と少しだけ香港

11月に久しぶりの友と中国に行ってきました。
少ない時間をいいかに使って旅を楽しむか、に労力をかけているような気もしますが。
金曜早朝便(0時台)の飛行機で出発、戻りは月曜早朝4時過ぎという日程でした。こんなことが出来る間に行きたいところに行ってしまわねば、です。

中国へは今年で2回目。なんとなく耳に慣れてきた中国語かなあと(勝手に思い込んでます)思いつつ、覚えた中国語を機内で試して通じた!などという小さな喜びもあるあっという間の旅でした。

今回何がいつもと違うかというと、空港で友人が待っていてくれたこと。勝手知ったる人が案内してくれた上海は楽しかったのです。



未来都市みたいな上海中心地のすぐ側に古い建物で構成された広場。空に向かう反り上がった屋根の美しさ。期待を裏切らない見たかった中国文化を目にしてきました。こんなに調べずに行く旅も久しぶりでしたが、「見たいところは?」というリクエストができたので、科学技術館!という私と、「上海雑技団!」という友の意見が通りました。
上海雑技団は専用劇場を持ち、アクロバットな技が現代に合わせたショーとして最高でした。古くからのテクニックでも観客を魅了することが出来る、日々の練習大変だろうなとか、何歳まで続けていけるのかなとか、色々考えますが人の身体で魅了出来る技術が続いて行くことを祈ります。小さい頃、身体がふにゃふにゃでやわらかかったので、兄弟から「上海雑技団に売ってしまおう」と言われていたのですが、10歳位でこれを見てしまったら、「この仕事やりたい!」と言っていたような気もします(笑)

夜に連れて行っていただいたのは、上海最古のジャズバーでした。
傷のある木製の床に、古びてはいるけれど使い込まれている楽器。ああ、上海バンスキングの世界だ!戦前ここで私踊っていてもおかしくないなあ、とよくわからない感慨に耽りつつ古いジャズナンバーを演奏するおじさま達をみておりました。バンドマスター?のおじさまは演奏が終わるとひょいと手を上げて挨拶をする、もう数えきれない同じ動きをされているのでしょう、それが優雅に見える。一度も楽譜をみないで演奏し、お客さんからのリクエストにも対応できて惚れ惚れします。私達は蘇州夜曲をリクエスト。中国の人が演奏するジャズの蘇州夜曲。この場でしか聴けない一曲でした。
少しずつオールドジャズから中国の歌に変わり、歌が入り、演奏家のおじいさまが素敵なステップを踏みながらマラカス持って踊ったり。その辺りがああ、今は中国なんだなあと思います。ここの天井細工?飾りが好きでした。

上海の科学技術館はとても広いところで圧倒されました。多分、一度で全部見るところじゃなく、年齢に合わせて何度も通うと楽しいところだと思います。一つのテーマが終わると、テーマに関連するお土産売り場があるのも面白かった。全部のテーマを見て、お土産買ってたら大変なことになりそうです。
こんな科学技術館があるところはそれだけその地域が子供達の教育に力を入れていること、展示できる技術、知識があることかなと思います。ロボットや宇宙へのロケットといった最先端もさることながら、生物の展示もわくわくしました。蜘蛛だけのテーマゾーン、環境のテーマゾーン。それから手を動かしてみるDIY。何か知りたい人が興味を引き出される展示で、言葉の壁が悩ましかったです。説明、全部読みたかった、理解したかった。

上海の地下鉄も満足でした。深センの地下鉄と同じカード使えるのかなと思いましたが、別々だそうです。今ジャカルタではインドネシア初の地下鉄が工事中で、どんな感じになるのか気になるので、どこかに行った時に地下鉄に乗ってどんなタイプになるか想像する楽しみがあるのです。乗り心地は快適!日本と違うのは椅子が硬いということ。シンガポール深センバンコクもクッションがない硬い椅子なのでジャカルタもこんな風になるのかなあ。

上海から香港へ。乗り継ぎが香港なのですが、乗り換え待ち時間が6時間位あったので、香港初上陸しました。空港から特急に乗って(これも快適です!)電車に乗る喜びを噛み締めつつ向かったのは、香港の科学技術館。またか!なのですが、好きは変えられません。特急から普通の地下鉄に乗り込み(電車に乗る幸せ〜!)科学技術館へ。

ここで気がついたのは、工事現場での安全についての展示があったこと。地味といえば地味となのですが、クレーンや高所作業でのことを扱っていました。身近にある風景なのかもしれません。仕事、という見方を通して学ぶようなところもありました。ロボットが工業用ロボットだったり。巨大なピタゴラ装置もありましたが、面白かったのは鏡のゾーン。よく知っているようで気がつかない錯覚を体験できたり。ここは触って体験できるものが多くて、子供より大人が真剣に体験していたりしていました。蝶が背中に留まる映像や振動で発泡スチロールの玉が動くのも面白かった。もっと時間欲しかった…。

急に身体がへたってきたと思ったら、ごはん食べるのを忘れていて、いやちょと頑張ればあと一つ、見たいものが!と向かったのは、3D大画面でのショーでした。香港文化中心というエリアで、そこで初めて香港の夜景が凄いことに気がつきました。わあ、これぞ香港!という夜景に驚きつつ、そこに気がつかない自分もどうかと笑いつつ、少し待ってると大画面で物語の上映が始まりました。大きいことは良いことで、みんなで見られる(体験できる)ことは良いことだ、という楽しみ方で大人も子供も歓声を上げて見ていました。古いものも新しいものも同じくらい好きです。技術はその時々で違いますが、誰かを喜ばせたり一緒に楽しめるものを作るのはいつの時代でも変わらないと思います。その時代が違うだけで、結果が3Dだったり、wayang kulit なのだと思います。プロジェクトマッピングがきれいでした。

その後搭乗時刻に間に合うように帰るにはかなり時間がなくて、空港で慌ててごはんを食べて機上の人となりジャカルタに戻りました。いつか香港に行ける時は、香港太空館に行こうと思います。プラネタリウムに宇宙関係の展示があるということでした。だから科学技術館にはその関係の展示がなかったのかと気がつました。

いつまでこんな旅ができるかわからないけど。知りたいこと見たいこと、見に行きたいと思います。

ジャカルタのデモのこと 11月4日

11月4日、ジャカルタで大きなデモがありました。
訴えの内容は、現在のジャカルタ州知事が他の宗教(イスラム)に対して侮辱するような発言を行なったということなのですが、内容はさておき、インドネシア、または、ジャカルタが迎える久しぶりの大きなデモということで、日本大使館から再三の注意勧告出るものでした。
結果を先に言ってしまうと、暴徒化したデモ隊のニュースが大きく日本に報道されています。
このデモは少し面倒で、ジャカルタ州知事選挙を見据えながらもジョコウィ政権の足を引っ張るという面もあり、デモ隊は地方から集結、誰がその費用を出したのかなど考えることも多いのですが、少し書き残そうと思います。
デモの開催を伝えるニュースとともにジャワ島やスマトラ島各地からデモ隊出発するニュースも入るようになり、色々心配事項が出てきました。
1 非常事態をどう定義するか
2 非常事態時の対応
大きく分けるとこの二つ。非常事態って何だろう。どの段階で皆を帰宅させるか、場合によっては日本人を緊急帰国させるか。
そんなに大変なことにはならないと思う、という楽観論もあります、1998年の騒乱を知っている私は可能性はゼロじゃないと思う。地震などの自然災害とは違うので、さあどうしたものか。こういうことは海外に生活する場合、いつでも念頭に置くものかと思います。
正しくデモ隊が行動したのはしていました。大勢の人が集まっているのに何も起こらないという安堵感もありました。ツイッターなどで見られた、デモ隊と警察の仲睦まじい姿もあり、ああ、ここも少しづつ感情に振り回されない、理性の伴うデモができるようになってきたと感じることもありました。水を分け合い、ゴミを拾い、破壊活動をしないデモ。
夕方6時に解散するニュースが前もって出ていたので、何事もなく、平和裡に終わったデモを見届けて帰宅したら、一部が解散せず居残りを始め、警備車両への放火、警備隊による催涙弾の応対となり、一箇所、コンビニエンスストアの略奪、国会への行進と続いていきました。
警察、軍を含む警備隊の対応が良かったのか、早朝には解散となり、土曜日、日曜日と穏やかな通常が流れたように見えました。現在、新たなデモは中止(11月25日)という発表があり、少し安心していますが、いつかあるかもしれないなあ、その時はどういう対応を自分自身に、また業務として考えたいなと思います。
大勢になると働く何か、感情、行動があるのかもしれません。白い帽子に白い服を着た人達が道を埋め尽くす姿は非常事態になるかもしれない何かがこんなに身近にあることを再認識しました。災害は小さな頃から訓練してきていますが、人の起こす何か、の訓練も実地研修(?)も体験してきていません。ほんとはそんなこと、体験せずにすめば一番良いのですが。

今、ツイッター上で、映画「シンゴジラ」をテーマとしたハッシュタグで多くの人が映画を追体験しています。災害時の予行演習をしているようで、読んでいてとても興味深いのです。避難時に起こる問題を取り上げる方あり、支援をする側になる方あり。架空の話だからこそ、安全を確保した上で想像しながら起こり得ることを取り上げる。
映画がこのような新たな流れを作り出すことも驚きですが、多くの人が自発的に参加する現象に驚いています。震災後、意識の変化があったのかなと思います。

何か起こっても平静を保っていけるようにしていきたい思います。日頃から考えて。

一区切りと次のこと

この半年間ほど、ジャカルタのYayasan Belantara Budayaというところで子供達にインドネシア舞踊を教えていました。
転職後、仕事先にも慣れてきて心に余裕が出てきたこと、少しだけ自分の時間を持てるようになってきたこと。たまたま通りがかった博物館で無料の伝統芸能を学べる場所を見つけたこと。見ればジャワガムランの絵もあり、ガムランも習いたかったので、改めて博物館に行ってみました。残念ながらガムランは教える人が居ないのでクラスはありませんでしたが、竹楽器のアンクルンと舞踊のクラスがあるということでした。
ジャカルタのbetawi舞踊を教えてる先生がいらっしゃって厳しく教えてる姿に、この人ならちゃんと学べる、質問も答えてくれそう!と興味を引かれて週に一度の土曜日午前中、通い始めました。毎回通える訳ではなかったけど、説明を求めればきちんと回答が返ってくる教え方は真摯に対応してくれるので感謝しています。ジャワとは違う立ち方やリズム感が腑に落ちるように身体に入ってきて、小さな子供達に混じって踊るのが楽しみでした。
ひょとYayasanの代表者と話す機会があり、子供達をボランティアで教えてみないかとオファーを受け、YapongというBagong Kussudiarjaさんの作ったジャワとbetawiが合わさるような作品を教えて始めました。Bagongさんの元で習うことができたこのYapongは大好きな作品です。ジャカルタ州の何周年記念の際、Bagongさんによって創作されたこの作品は、小学校や中学、高校などの課外授業などで取り上げられ、色々なバージョンに発展(!?)しつつ踊られています。今ではジャカルタの伝統舞踊として認識されている住民も多いと聞きます。新作が地域に馴染んで伝統舞踊化していく、こうしてインドネシア伝統芸能は新しい風を吹き込みつつ発達、そして大事にされていくんだなと思います。
日本でも教えたことがありますし、何度踊ったことだろう、その踊りを小さな人達、子供達に伝えられるなんて幸せ!
浮き足立っていました(笑)

ボランティアであることも幸いしていました。外国人労働者なので。
(色々制約があるのです。)

目標にしていたジャカルタでのお披露目公演的なものも終わり、さあ次はどの踊りを一緒に踊ろうかなと考え始めた頃から、違和感を覚えるようになりました。代表者は伝統芸能についてあまり知識のない方で、伝統文化を持続させていくためにも無料で文化を学べる場所を作るというけれど、学ぶための基本的なこと、例えば学んだ踊りについてや踊りそのものの基本を学ぶ場を子供達に用意させてもらえませんでした。

気がつくと他のボランティア先生もそうですが、知らされないまま、子供達は毎週のようにどこかで踊っていました。舞台に立つ的なものは、コマーシャルなもの、そうでないものも含めて出演料が発生するかと思います。新しい踊りの練習時間を削ってでも出演のための練習が増え、舞台に立てない子供達は選ばれない子供達という言い方をされるようになりました。なんか違う。そもそも、お披露目会の時からそれだけのために練習していたので、基本的なところを直したい、覚えてもらいたい、というのが、教える立場の見方だったのですが、それも伝わらず。出演料的なものも子供達はもらっていないことが親御さんから耳に入るようになり、ああ、利用されてたなあと思い当たりました。
利用されててもいいから、子供達と一緒に踊りたいなと思っていたけれど、テレビや新聞に彼女が教えてるという発言をしていることが耳に届くようになり、潮時かなあと。彼女が教えてると言うのなら、ボランティアの私は必要ないかなと(笑)
三人のボランティア先生はそれぞれ違う内容を教えていました。きちんとbetawiの伝統を伝えていた先生、各地の伝統舞踊は私、もう一人は今をときめく西ジャワの伝統舞踊でした。年齢も経験も違う三人でしたので内容が重なることもなく、習う側としても面白かったと思います。習う側としても参加していたので、とても興味が満たされました。小さな子供達と合わなくなるのは残念ですが、自分の習い事(他で踊りのクラスに所属)も疲れて行けない日が出てきていたので、一旦、区切りにします。他のボランティア先生も通えなくなったからと連絡をいただいて、同じタイミングで身を引くことにしました。

私自身がインドネシア舞踊を学び始めた時、Topoさんという先生から良い言葉をいただきました。
「あなたは一生かかってもこちらの人と同じ位上手くなることはないだろう、生まれてきた場所も経験も違うから。でもあなたには興味がある。知らないことがたくさんあるから、質問するし覚えようとする。覚えたら誰かに伝えて欲しいし、それがどんなに興味深かったかあなたは伝えることができる。この場所に生まれて外の視点からこの芸能を見たことがない人達にあなたたちの持っている芸能がどんなに面白いことか、素晴らしいものか、伝えることができる。それをお願いね。」

相変わらず踊るのが下手で理解するのに時間がかかりますが、続けていくだけの興味が尽きない世界でもあります。少し一休みしてから、何か良い方法を考えよう。また仲良くなった子供達とも一緒に何かできたらいいな。
舞踊は身体で覚える部分が多いので、やっつけで覚えることが難しいものです。この半年で覚えたbetawiの伝統舞踊を続けて練習していこうと思います。どこかで踊れたらいいなあ、紹介できたらいいなあ。
日本にいた時、muriwuiという屋上にあるカフェで踊らせていただいたことが懐かしく思います。あんなことしたいなあ、夕暮れ時にちょこっと異なる世界に足を運んでもらえるようなこと。外国人労働者なので法律に則った方法を考えようと思います。

なんでこれを作ったんだ? Maker Faire Singapore 2016で。

何度か足を運んできたMaker Faireですが、出展する側は初めてです。しかも英語圏だし。
心配しても仕方ないので、会場に行ってみると、多くの出展者が準備をしていました。有名企業も出展していますが、私の目指すはNico Nico技術部。初めて会う人達と挨拶をして、それぞれ何を出展されるか見せていただきました。私の好きな、VRVirtual reality)で空から落下するような体験を味わえるものは衝撃でした。視覚でしか体験していないはずなのに、全身で体験しているかのような感覚に襲われるのです。初めのぴょん!と跳びあがって着地までが長い!そして着地した瞬間(現実にはとっくに着地しているのですが)膝と足首にずしんと地面がぶつかった衝撃が伝わるようなショックを味わいました。もう一つは自分がいる建物の中に上空をついっと小さな魚の群れが泳いでいくのです。おとなだから立ち止まることができたけど、自分がまだこどもだったら、絶対魚の群れを追いかけてしまう。(実際追いかける子供達あり)声が出てしまうほどのわくわく感です。
そしてお隣にいらっしゃった方は、東北大震災の体験を生かして、学校から家まで子供達が帰りつくまでのポイントを通過すると、親や学校に連絡が行く仕組みでした。私がジャカルタで、こんな仕組みがあったらいいのに、と考えていたものがすでに目の前に展示されていました。家と学校が離れている子供達の登下校を見守るこのシステムは、二度とあんな震災に襲われたくない、でもいつかあるかもしれないから備えるという、日本だからこそ、実際に使われて欲しいなと思うものでした。知識のない私に丁寧に教えていただいたことがあとで役に立つことになりました。
そしてもうひとつ。キーボードをたたくと、光の文字がスクリーンに飛び出すものでした。これが楽しくって!色が変わり、音符がつむぎだされるように、文字が飛び出していくのです。どうしたらこんなこと思いつくんだろう?実は光の文字が飛び出していくように見えるのは、種も仕掛けもあるのですが、作者が設置をしていきながら説明してもらえる、それでも私にとっては魔法でしかない仕掛けでした。

展示の内覧会があり、会場である大学の先生が足を運んできてくださいました。
その時、私の明りをみて、「なんでこれを作ったんだ?」と聞かれたのです。そんなことを聞かれるとは思わなかったので、何も準備をしていませんでした。「何か作りたかったんだもの」そんな答えしか出来ませんでしたが、今でも考える問いになりました。何で作ったんだろう?
手を動かしたかったこと。持ち歩ける灯り、身に着ける灯りが欲しかったこと。
参加してみたかったこと。作るって何だろう?私が出会う魔法はどんなものなんだろう?どうしてMaker Faireにある作品は、実用性のないものも、まだまだこれからのものも、出展されるんだろう?何でものつくりの人達は参加してみたくなったんだろう?何で?
という様々な何で?が知りたくなったのかと思います。それをほんとに知りたいと思ったら参加するしかない。「何か作りたかったんだもの」だけではなくて、作りたかったものを作っている人達がなんでそれを作ってしまったのかが知りたい。ということは、最初の、「なんでこれを作ったんだ?」にたどり着きました。それは「好奇心」という名前かもしれません。


なにか作ってみた。を試してみる

布ものならば、作ることには抵抗はありませんが、今回はNicotechというNico Nico技術部枠で参加することになりました。Nico技と呼ばれているそうです。初めての参加で、初めて会う人達と一緒に展示を行うのはどんな感じなんだろう?
Nico技の人達は「〜を作ってみた」という言葉と共にさまざまなものを製作しています。仕事あまり関係なく、とにかく作ってみたくて作ってしまった、ということなんだと思います。世の中に役に立つ、という大義名分なく作りたくて作ってしまったという思いは、おそらく生きている限り持っている興味のかたまりと、新しい技術への憧れと、新しい何かを生み出す喜びに基づいているのかなと思います。
Nico技に参加するに当たって、電気くらい使ったものにしよう、身に着ける灯りと決めました。イヤリングや腕輪のようなものをイメージしましたが、やってみると電気の元、電源が大きい(ボタン電池も体に身に着けるとなると目立つ)ことに手を動かしてみて気がつきました。LEDランプは小さくても、スイッチと電池がかさばる。身近に手に入るもの、というのも限られる(レジンなどは手に入らない…)ので、スイッチと電池は布に縫い付けてしまって(基盤も手に入らない)そうだ、電気の通る糸があった!ので糸でLED電球をつないでみました。
その前には、ビーズ細工に使う丸い小さな鎖の元みたいなものが電気を通すことに気がついたので鎖とLEDをつないでみましたが、鎖はつるさないと灯りがつきませんでした。身に着けると、体に鎖がフィットする時に鎖と鎖が触れ合わないことが発生して、電気が通らなかった!

電気の通る糸は、半田付けするわけではないのでLED端子に縛り付けるだけ+糊で固めました。出来上がった灯りは、不安定に光る、アジア風味(お客様のご意見です)になりました。出来上がってから、こんな単純がなものを作ってみて一緒に展示する人達はもっとすばらしい発想の作品を作り上げていることが実感として沸いてきて、出展してもいいのかな?と不安になりましたが、はじめの一歩が踏み出せないと何も始まりません。この他に、久しぶりにがま口の小物を作って、それにもLEDランプを縫いつけて光るがま口にしました。

後進国と呼ばれるところに住んでいます

どうしてこんな題をつけたかというと、最近20年ほど前と同じお願いをされたことがあったことを思い出したからです。

ジョグジャカルタに踊りの勉強をするために住み始めて間もなく、近所のお母さんから、学費を工面してくれないかとお願いされたのです。私の住んでいたジョグジャカルタの田舎は、田園風景の広がる、南の島の田舎!という感じのところでした。たどたどしいインドネシア語の理解によると、小学校に上がる子供の教科書が買えない。学校に通えないので教科書代を出してくれないか、ということでした。
お金を貸すということは、返ってこないという覚悟も必要な土地です。農家なので食べる食料はあるけれど、ものを買うことができない、という貧しさでした。
洗濯されてアイロンがきちんとかかったTシャツを着て、身なりも質素ながらしっかりしていました。その時に幾ら貸したか覚えていませんが、何百円だと思います。当時の私の生活費は一か月1万円(月々のビザ費用、日本への電話代含む)。周りからするとお金持ちに見えたかと思います。同じ寮に住んでいる友人は2000円いくかいかないくらい。日本でアルバイトしてお金を貯め、親にも援助してもらってのジョグジャカルタ滞在でした。後進国に向かったのは、生活費がかからないというのも理由にありました。貸したお金は返ってこなくて、でもそれはそれで満足しています。私はその後もその村に住み続け、近所の子供たちは学校へ行き、また、学校にいけない子供たちは、子守をしたり親の手伝いをしたり。午後、子供たちは私にインドネシア語を教えてくれたり、日曜日に一緒に踊ったり、私が作品を作っている最中見学したり、一緒に踊ったり。先進国と呼ばれる国から来た私は村の一員のように受け入れられていました。そのことを今も感謝しています。

今の私は、ジャカルタという大都市で仕事をしています。土曜日、無料のインドネシア舞踊のクラスのボランティアで踊りを教えています。踊りに来る子供たちは、比較的中間から下層の子供たちが多いように思います。
あるお母さんから、家賃が払えなくて借家を追い出されそうになっているので、お金を貸してほしいとお願いされました。5万円くらいです。(ジャカルタ最低賃金1か月が3万円くらい)ひるむ金額でしたが、あの子が踊りに来なくなるのは寂しいなという気持ちもあり、貸すことにしました。(インドネシアでは1年間、または半年分の家賃を一括で前払いする習慣です)返済されましたが全額ではありません、子供の教科書を買うので、残りは待ってほしいということでした。
今でも教科書を買うのに苦労する家がある。日本でも貧困家庭がニュースなどで取り上げられるようになりましたが、改めて考えてしまいました。インドネシアは非常に国土が広く、比較的インフラがそろっていると思われるジャワ島でも、馬による移動図書館(100冊ほどだそうです)が喜ばれているニュースが最近取り上げられています。ここは教育格差、またはインフラ格差が激しいところで、スマートフォンがいたるところで販売されるようになっても、都市部、富裕層と地方の格差はさらに広まっているかなと思います。

インターナショナルスクールに通う子供たちは学費だけでジャカルタ最低賃金1年分を軽く超え、先進国と呼ばれる国とほぼ同じ生活ができています。踊りを通して見えてくる子供の世界に色々考えることがありますが、双方を見続けることができたらと思います。もどかしい思いをすることもあるけど、自分の楽しいことを共有できる子供たちの傍に立つこと。そしてその楽しいことが将来ご飯を食べていくことにつながらなくてもいいこともいつか伝えたいと思います。芸能で報酬が出るのは最近のこと。芸能は生活の一部でいいかと思います。生活の一部だからこそ、次の世代へ伝わっていく。
無料のクラスの親御さんたちは、踊りがうまくなれば、外国へ行くことができると思っている方が多いのです。公演の機会はあるかもしれませんが、それで生活できるとは思わない。私は偶然、インドネシア舞踊を習ったおかげでインドネシア語を習得することができ、それで仕事を得ることができました。私を教育してくれた、先生や村の子供たち、お母さんたちのおかげです。
うまくまとまらないけど、生活の余裕部分に時間の遊び、または空間の遊びがあり、そこに芸能が入っていて、好奇心の余裕がさらにあれば、美しいもの、わくわくするもの、何だかわからないけど思わず引っ張られるようなもの、受け入れてしまった何か(私はこれがインドネシア舞踊かと思います)に子供たちが出会えるようになったらいいなと思います。好奇心に見合う何かに出会うには、教育を通して新しい何かに出会うこと。どうやったらよいだろう?どうしたらいいか今の私にはわかりませんが、後進国と呼ばれる国に住んでいる私は、時々このことに考え込んでいます。

あたらしいことに出会いに行く

今日は英語でインドネシア舞踊を紹介する2日目でした。
先週初日は、まったくひどいものでした。
どうひどいかというと
1.先生の言葉が全く聞き取れない(ニュージーランドの方でした)
2.子供が何を話しているか半分くらいしかわからない
3.準備していたテキストがあまり役に立たなかった

それでも、ジョグジャカルタのGolek Ayun Ayunをビデオで紹介し、使用されている動きを取り上げて、何の動きだと思う?クイズと、実際に使われている動きを試してみよう!を試してみました。Kenserという、砂浜に風が吹いて、砂が音もなく移動する、という動きです。この他にもTari Piringという、お皿を持って踊る踊りですが、このお皿を持って腕を回す動きで遊んでみたり。
子供たちにとってあたらしいなにかであり、私にとっても新しいことでした。英語とは長い付き合いですが、英語を使って踊りを伝えるのは、初めてのことでした。踊りを習う過程で身につけた言語使用方法または、用語といったものはその世界特有のものであり、(どの分野でもそうかもしれませんが)初めて経験する人達には異質なものかもしれません。今回それがよく思い知らされたなあと思います。

スマトラのBatak族、Tor Torの踊りは、動きは簡単かもしれませんが、重心を低く落としていく動きがあり、下半身、特に腿や足首の強さが求められます。かがむこと、しゃがみ込むなどの動きがスムーズにこなせること、足腰の筋肉がしっかりしていると問題ないのですが、子供たちにはちょっと大変かなという気もしました。二日間の練習で3日目には本番という、ちょと条件が厳しかったので覚えやすいものにしましたが、子供たちからは「疲れる〜」という声があがり、内心ごめんなさい!でした。

色々へこんで1日目を終わり、そのまま仕事へ。自分の至らなさをうんうん悩んでも仕事は待ってくれないのが助かりました。そして今日の2日目は、やっぱり先生の言葉がわからなくて、謝りながら(ごめんなさい、今なんておっしゃいましたか?の繰り返し)Tor Torの練習と子供たちの発表会の練習を見せていただきました。

発表会は多様性と空間についてで、ストーリー形式のプレゼンテーション。それぞれが役割を担当、12人の生徒に先生1人、補助の先生2人で、話す間合いや、合いの手の入れ方など、子供の個性に合わせての指導(?)でした。教室内は子供たちの作品で飾られていて、何か作りたい時のために、さまざまな種類の道具(粘土や、テープ、ストローやきらきら光るものなど)が用意されています。広い教室にグループで座れるような大きな机が4つ。共通言語は英語なので、英語で書かれた標語だったり地図だったり可愛い絵などで、教室は楽しい雰囲気でした。学校という場所は、教育の場ともいわれますが、新しいことに出会える場所でもあります。新しいことに出会う、その環境としては、素晴らしいところだなあと思いました。今回のお話し、受けて良かった。私も新しいこと、新しい何かに会いに行けたと思います。なかなかそれを消化できないけど、ただ単に踊りを紹介するだけじゃなくて、子供=小さな人達の背景(さまざまな国の出身)や個性とか、言葉にできない、まとめられない新しいなにかに出会った気がします。


教育格差、という言葉が頭に浮かびましたが、それは別の機会にまとめようと思います。